食器類で荷物が多くなってしまったので、奏汰は一度車に荷物を置いてくると言う。
 雫も一緒に行こうとしたのだが、

「しーちゃんは、あそこに座って待ってて。あ、ナンパされても付いてっちゃだめだよ」

 と、恥ずかしい言葉を残し、荷物を全部持って駐車場に向かってしまった。

(ナンパなんてされるわけないのに…)

 雫はショッピングモールの吹き抜けを臨むベンチに腰掛けてほっと一息つく。
 慣れない靴で歩き回ったので確かに少し疲れた。

 今日1日、初めは緊張していたものの、いつしか純粋に楽しんでいる自分がいた。
 奏汰もとても楽しそうに見えた。
 少し、はしゃいでしまったかもしれない。でも、彼との距離感が縮まった気がする。

(うん。早々に成果が出てきているかも)

 これなら傍から見ても不自然さが無くなってきているのでは無いか。さらに今日目にした奏汰の迫真の演技をもって臨めば『プレゼン』もいける気がする。

 そんなことを考えながら奏汰を待っていた時だった。

「安藤雫?」

 背後から声を掛けられた。振り返るとカップルとおぼしき男女が立っている。

「久しぶりじゃん」

 女の方が口を開く。

 誰だか認識した雫から表情が消えた。体が冷たくなり血が止まった感覚を覚える。

 会いたくもない人に会ってしまった。

「…高木さん?」

 確かそんな名前だった。何とか声を出す。

「へぇ。なんか、雰囲気変わったじゃん。高校の時は地味だったのに」

 そういう高木はマイクロミニのスカートを履いて恐らく彼氏なのだろう男の腕にしなだれかかっている。

 お世辞にも上品とは言えない雰囲気だ。

「お前の友達?カワイイじゃん」

 男の方は不躾な視線を雫に向けながらニヤニヤ笑っていて、気味の悪さしかない。

「え~?高校の時の同級生でぇ~」

 彼女は雫にとって一番思い出したくない時期の事を知る高校時代の同級生だ。

 男が雫の事を『カワイイ』と言ったのが気に入らないのか、不満げな声を出した高木を横目にその場を去ろうと雫はベンチから立ち上がる。とにかくこの場から逃げたい。

「……じゃあ」

「待ちなよ」

 呼び止められた雫は思わず立ち止まってしまった。

「あんな事したから、卒業後どうしたかなーって心配してたんだよねぇ」

「……」

 嘘だ。心配などするはずがない。彼女も面白がって噂話を流していた。

『おとなしそうな顔して、気持ち悪い』 という言葉を投げたのは、確か――彼女だったではないか。

 雫があの後、男性も人付き合いも苦手になってしまったと言えば満足してもらえるのだろうか。雫はグッと唇を噛み、立ちすくんだまま何も言えなくなってしまう。
 あぁ、自分はあの頃からなにも変わっていないのか。


「雫」

 ――自分を呼ぶ声がした。今度は心地良く優しく響く声。

 奏汰だ。走って来たのだろうか、ほんの少し息が上がっている。すばやく雫の傍らに立つとそっと肩を抱き寄せる。その大きくて暖かい手に雫は強張っていた体から力が抜けたのを感じた。

「雫、ごめんね。待たせちゃった?ナンパされないように急いで戻ったつもりだったんだけど」

 飛び切り優しい声を雫にかけた後、目の前に立つ2人に視線を移す。
 雫の顔色でどうやら歓迎する相手では無い事を察知したらしい。鋭い目つきになっている。

「雫の知り合い?」

 高木は突然現れたイケメンを前にしばしポカンとしていたが、切り替えたのか

「私は安藤さんの同級生なんですぅ。あのぉ?」

 鼻にかかったような声で聞いてくる。

「僕は彼女の婚約者だけど」

 奏汰はそっけなく答える。

「婚約者?」

 高木は顔を歪ませる。

「そうだよね」

「は、はい」

 雫は何とか話を合わせる。

「今日は、ふたりでこれから必要なものを色々買いに来ててね。さ、そろそろ行こうか」

 奏汰は雫の肩に回した手にさらにグッと力を入れる。

 高木は明らかに不満そうな顔をしている。雫が明らかに自分の彼氏より優れた見た目の男と結婚することが面白くないのだろう。

「そうなんですかぁ。でも、彼氏さん安藤さんの本性知ってるんですか?」

 その言葉に雫の体が一層堅くなる。

 高木は嗤いながらわざとらしく続ける。

「安藤さん、高校の時、先生と男女の関係になって、先生の方は学校クビになったのよねー。なんでも、安藤さんが強引に誘ったって。先生、かわいそうだったなぁ」

「……!」 

 雫の目の前が真っ暗になる。今更、誰にも聞かせたくない話だったのに。
 そして、奏汰に聞かれてしまったことに自分で驚くほど動揺してしまう。
 この話を聞いた彼の反応が怖くて顔を上げれない。

 足元がいつの間にか震えていた。崩れ落ちそうな体をなんとか支える。

「まじかー。高校生で?初心そうな顔してやるねぇ」

 高木の横で男が下品に笑っている。

「や……」

 やめてと言いたいが、声が出せない。涙が出そうだが堪える。こんな人たちの前で泣きたくない。

「やめてもらえるかな」

 隣から鋭い声が響く。寒気を覚えるような声に雫は思わず俯いていた顔を上げて横に立つ奏汰を見る。

 今まで見たことも無いような冷たく蔑むような表情だ。こんな顔を自分に向けられたら立ち直れそうもないような。

 奏汰は雫の肩をさらに強く引き寄せるとまっすぐ前を見据えて言う。

「俺は実際に見たり、本人から聞いたことで無いと信じない。少なくとも俺の婚約者は君のようにわざわざ無責任に過去の話をしたり、他人を蔑むような真似はしない」

 目の前の高木に言っているようで、実は雫に言い聞かせているようだ。肩に置かれた大きな手のぬくもりが、何とか立ち続ける力をくれる。

「……っ」

 奏汰の静かなる怒気に高木は青ざめ言葉に詰まっている。

「これ以上彼女に少しでも不快な思いをさせるなら、それなりに対応取らせてもらう。俺の社会的な地位をフル活用してでもね」

 奏汰のただならぬ雰囲気から、実際それが出来る立場であることを感じたのだろう。男の方が慌てて

「お、おい、行こうぜ」と固まる高木を連れてそそくさと去っていった。

 雫はその後ろ姿を見ることもなかった。奏汰に囲われるように抱き寄せられたのだ。

「……大丈夫?」

 奏汰は雫を見つめる。先ほどの冷たさとは打って変わって優し気な表情をしている。

 しかし、鳶色の瞳の奥は心配気に揺らいで見える。

「……すみません。私のせいでつまらない思いをさせてしまって」

「いや、ここまで来たら会社の人間に会わずにデート出来ると思ってたんだけど、返って良くなかったみたいだね」

 彼女に会ってしまったのは偶然で、奏汰のせいでは無いのに申し訳なさそうに言う。そして、雫のを背中を安心させるようにさすってくれる。

 気持ちを慮り、黙って寄り添うだけで何も詮索しては来ない。今度はその優しさに泣きそうになった。



 夕食をレストランで取って帰る予定だったが、雫が疲れてしまっていることを考慮して帰宅することにした。

 夕食も作らなくて良いようにとデリコーナーで総菜を買って車に乗り込む。

「奏汰さん。帰ったら……私の話を聞いてもらってもいいですか?」

 シートベルトをした雫は、前を見ながらはっきりとした口調で言った。

 高木達と対峙した時、何の躊躇も無く奏汰は雫を守ってくれた。

 彼には自分の過去を話したいと、自然に思えたのだ。

 助手席の彼女を一度見やった奏汰は

「うん、わかった」と短く言ってから、静かに車を発進させた。