一度、出かけようとする母親の服を掴んで『どこ行くの?』と聞いたことがあった。
そのとき向けられた母親の心底嫌そうな顔と、振り払われた手の痛みは今でも鮮明に覚えている。
だからなのか、私の中には、他人の心には踏み込んじゃいけないものなんだって教訓がいつの間にかできあがっていた。
自分が大事な人が相手ならなおさら距離を詰めすぎてはいけない。だって、きっと痛い目に遭うから。
三つ子の魂なんとやらっていうことかもしれない。
そのストッパーは今も私の中にあって、私自身の感情が表に出ないように止めている。
暗い色の感情は特にそうだ。
彼……光川さんに対して〝あれ?〟と、なにか引っ掛かりを感じたりしても、〝なんで?〟という言葉はそのストッパーに止められて出てこない。
〝これ以上は踏みこんじゃダメな部分だ〟〝面倒な顔をされてしまう〟と両手を広げて私を止めるそれは、門番みたいだ。
光川さんと終わった今だからこそ思うけれど。
たぶん私は、怪しいなって思う部分があっても、それを疑う心も言葉もすべてを飲みこんでしまっていたのかもしれない。
門番を前にして無意識にそうしてしまっていたから、光川さんが三股しているという事実に気付けなかったのかもしれない。



