美希にはどう言うのだろうか。
 ちょっと強気に出した言葉を、そのまま伝えるのだろうか。
 知音のことだ。きっと上手く、それっぽい言葉でまとめてくれる筈だ。

『なんてな』

 そんなこと――

「って、勝手に心読まないでくれるかな」

『アホ言え、声に出てたぞ』

「えっ……そ、そうなんだ」

 素直に落ち込んで、眉根を下げて、肩まで震わせて――汐里は、再びやって来ていた屋上にて、柵に背中を預けてへたり込んだ。
 次第に嗚咽まで聞こえて来て、どうにも収拾がつかなくなる。
 傍からでなく、内からただ見守っている琢磨には、それが痛い程よく伝わっていた。
 ふざけても『ご愁傷様』だなどと言えない雰囲気に、ただ黙って寄り添うばかりだ。

「ちょっと、これはキツイかなぁ……せっかく、最後だったのに……分かってるよ、分かってる。私中心じゃなくて、輝くんにだって個人の生活や違った状況もあるって。でも……でも、こんなのって……私、もうこれが最後なのになぁ…」

 今更、好きだとか好きだったとか伝えることに意味はない。それは言わずもがなだ。
 けれど、その先はないにせよ、それまでの思い出は、一つくらいあってもバチは当たらないのではないだろうか。それっきりでちゃんと終わりにしようと覚悟を決めていたのに、それすらも無いというのは如何なものか。

「運命とか神様とかって、私まったく信じなかったんだけど……」

『――やめろ』

 琢磨の声は届かず、

「こんなに何かを恨んだのって、私初めて――」

『やめろ!』

 叫んだことでようやく、途中ではあったが止めることが出来た。
 最後まで聞かずに済んだ。いや、そんなことはなかった。
 慣れ、この身体にも順応している琢磨にも、汐里の思いや考えは伝わるようになっていたのだ。声で聞かずとも、分かってしまう。

『せめて泣くのだけは、あと二日は待て。待たないとダメだ。でないと、あの二人との思い出も残せなくなるぞ。そんなことなら、もうずっと俺に代わってろ』

「代わってろったって……そうしたいよ…! でもしょうがないじゃん、正直ここまで辛いとは思わなったんだから…! でも出来ないでしょ、私たちの意志では代われないじゃない!」

『あぁそうさ。だから君がやるしかないんだ、汐里。どうせ代わったところで、俺に何が出来る訳でもない。元より俺は赤の他人だからな。君のことを分かろうとしても分かることは出来ないし、君の方が二人のことをよく知っている。だから、これは君にしか出来ないことだ』

「そんなこと……言われなくても分かってるもん…」

『あぁ、分かってるみたいだな。それは分かってる。ただ、ちょっと時間が必要なだけだ。でも、その中で泣くの、絶対にダメだ』

 泣き腫らした顔で戻れば、二人には一瞬で気付かれる。目元が戻った後でも、嗚咽が混じっていれば、それでも気付かれる。その二つを落ち着かせても、声音が変わっていれば気付かれる。
 気付かれれば嘘を吐いてあの場を去ったことがばれるし、それに伴って二人の厚意も無駄になる。無駄になれば、その後の付き合いに支障をきたす。

 今でなくとも、今日か明日かの夜に泣いてしまっては、そんな状態で一夜を明かし、すぐにいつも通りに戻れる筈もない。
 そうなれば、もう思い出など残すことは不可能だ。

 どちらにせよ、今は堪えるしかないのだ。

『風邪なら仕方がない。俺が言えた義理じゃないがな。でも、それならいっそ泣くんじゃなくて、怒りに変えた方がまだマシだ』

「怒るって……?」

『簡単なことだ。思ってること全部、とりあえず叫んじまえ。幸いなことに、馬鹿みたいな音量で音楽もずっと鳴ってることだしな』

「なっ……!」

『スッキリするぞ。バカヤローってな』

「そ、そんなこと……」

 出来ない訳では無かった。恥ずかしい訳でもない。
 ただ何となく、何かが申し訳なかった。
 自分から誘っておいて、厳しい予定に時間を作って貰って、その上で風邪をひいてしまっただけなのに、自分が怒るのはどうなのだろうと。
 悪いのは輝典ではないと分かっている。

 だと言うのに。

 琢磨の自由奔放で突飛な発想ときたら、まるでそれを良しとしてくれているようだった。
 なにも、輝典に対する怒りを叫べと言っている訳ではない。
 自分自身への怒りでも、だれに 対するものでないものであっても、とりあえず吐き出してしまえ。琢磨はそう言っているのだ。

「わ、わたし……」

 頭の中は真っ白だ。
 だから返って、何でも吐き出せる。

「わたしのバカー! 勝手に思い上がるな、アホー! いいじゃん、風邪なら仕方ないじゃない、なら回復を願ってこその好きでしょうが、この――勘違い野郎―!」

 精一杯叫んだ。
 思ってること全部、言ってやった。解き放ってやった。

『はは、声ちっさ』

 内側では、スピーカーから流れる音楽のことも気にかけていた琢磨が、それすら必要なかったなと声を上げて笑っていた。

「うっさい! 言っとくけど、これで終わりじゃないんだから。あと二週間……二週間あれば私、何だって出来るよ」

『言ったな』

「貴方に諭されたからとかじゃ、決してないから。なんかむかつくし」

『今更過ぎるだろ。俺の話に泣いてたのは、どこのどいつだ?』

「あ、あれは、たまたま目にヤバいやつが入っただけ…!」

『失明してないのがいい証拠だな』

 変な奴。そう付け足して、琢磨はまた笑い出した。
 スッキリはした。それでも、まだ胸のチクリとした痛みは治まらない。
 何か罪悪感のようなものが残って、頭から離れてくれない。

『それだって、残り二週間を彩るスパイスだと思えばいい』

 ぽそりと、琢磨が呟くように言った。

「……だから…心、読むなぁ…」

 途端に恥ずかしくなって、汐里は咄嗟に顔を伏せた。
 それでも中にいる琢磨には、その様子が克明に伝わっている。
 またどうせ笑われる。そんなことを思っていた汐里に、

『とりあえずは三十分くらいか。会長と予定していた時間分くらいは、ここでゆっくりしてても怒られんだろ』

 たまにこうして優しい言葉もかけてくれるから、何だか調子が狂ってしまう。
汐里は短く「そうするよ」とだけ返して、齧られたイカ焼きに口を付けた。