『そうだな……どこから話すか』

 死して尚も覚えていることは不思議だったが、その深く刻まれた記憶を順に拾って、汐里に語り聞かせていく。

『まずは茜が誰かって話になるが――』

「彼女さん?」

 どんな惚気話を聞かされるのかと、ワクワクいつもより高めの声で汐里が言う。

『フライングして盛り上がるな。残念ながら妹だ』

「あ……と、ごめん」

『あぁいや、別に』

 浮かれた話を聞かされるのかとテンションが上がっていた汐里は、割と素直に少し反省すると、また口元まで湯に浸けてぶくぶく。

 意外と子供っぽい側面もあるのだな、と笑う琢磨。
 それにまた噛みついてくる汐里だったが、今度は憤慨ではなく照れ隠しのそれだった。

『俺が専門三回生になる歳だから、あいつは大学一年か。志望校にも受かってたみたいだし、今頃はキャンパスライフを……楽しんでくれてるといいんだけどな』

「遠い?」

『あぁ。学校に行く前、いつもテレビで天気予報見るだろ? チェックしている範囲からすると、三百、いや四百キロは離れてるな』

 移動しようものなら、県を三つは跨ぐだろう。

「わ、遠いね」

『そこそこな。何だって急に?』

「えと……近かったら、何か理由をつけて訪問でも、と思って」

『嬉しいが、良い言い訳も思いつかん』

「見に行くだけなら?」

『不審者扱いだろうな』

 琢磨がぶっきらぼうに言い放つと、それは嫌だなぁと汐里は肩を落とした。
 そう思いながらも、汐里はまた別のことに思いを馳せていた。兄弟、姉妹、まして両親もいない汐里にとって、その存在とはどういう意味を持つのか。どれだけ大切か、どれだけ思っているか、どれだけの事を共にして、どれだけのことを覚えているのか。
 嫌がられるかも分からなかったが、汐里は尋ねずにはいられなかった。

「妹さんのこと、好き?」

 その全てを含んだ一言に琢磨は、

『何より大切で、誰より大好きな存在だ』と、臆面もなく言い放った。

「そうやって言えるの、凄いね」

『似てるって言ったろ。いないんだ、うちにも両親ってやつが』

「え……?」

 一瞬、汐里は何を言っているのか分からなかった。
 別居か、あるいは赴任中か、そんな辺りの理由からか、あるいは全く別のところで似ていると言っていたのか、そう思っていたのだ。

 そこに急に、いないと言われては、固まりもする。

「俺が中学の頃だったかな。腸内の福引で当てた旅行の、帰り道だった。冬の雪山でスリップ起こして、そのまま崖下に。即死だったらしいな。死に目にはあえなかったけど、葬式は出来た。それだけが、まだいいところだな」

 それを聞いた途端のことだった。
 こともあろうか、汐里が涙を流していたのだ。
 思えば、妹だと言った時からだったかもしれないが。
 琢磨が、おい、と声をかけると、それを誤魔化すように頭まで潜った。

『ちょ、おい、どうしたんだよ…?』

 呼びかけ、

『おいって』

 もう一度呼びかけて、

『陸上さんってば…!』

「ぷはっ…!」

 三度目でようやく頭を出して、湯船の縁に頬杖をついた。

「私の病気は、確かに重い。重いけど、私よりも辛い思いをしてるのは、仲村さんの方だったね。ごめん」

『何だよ、急に』

 汐里は、ついている両腕を寝かせ、枕のようにしてそこに頭を預けた。

「だってそうでしょ。ちゃんと知っているご両親がいて、でも事故で亡くしてしまって。妹さんと二人っきりになっちゃって、それなのに……ご両親と同じ亡くなり方なんて、そんな…」

 気が付けば、また涙が溢れていた。
 琢磨には「悩みなんてそれぞれの捉え方だ」と言っておきながら、わざわざ自分のことを比較して持ってきて、それで泣いているだなんて、我ながら馬鹿馬鹿しい話ではあった。

 それでも、それが分かっているに、どうしても涙が止まらない。知りもしない両親のこと、どうでもいい親代わりの他人、それらを悩み事のように琢磨に向かって話していた自分が恥ずかしくて、同時に琢磨がとにかくも可哀そうで。
 死に際に助けたいと願った相手が自分だなんて。
 ちゃんと治療を受けて、時間をかけて、リハビリもこなしていれば、あるいはまだ――そう考えると、琢磨が今こうして笑っていることが、忘れもせずに語れていることが、ただただ無念で仕方がなくて。

 勝手な同情は相手の怒りを買うこともある。それは分かっているのに。

 どうして。

『汐里』

 どうして、

『ありがとう』

 彼は、お礼を言えるのだろう。