「よかった……。北川さんを倒れさせちゃったらどうしようかと思いました。また嫌な噂増やしちゃったら申し訳ないし」

はぁ、と息をついていると「名前は?」と聞かれる。

ああ、そうか。北川さんは有名人だから私も知っていたけれど、それは一方的だ。北川さんは私のことなんて何も知らない。

私だけが知っているのはたしかに北川さんからしたら気持ち悪い、と思い「アフターサービス部の白石千絵です」と答える。

北川さんは「白石か」とつぶやいたあとで私をじっと見た。
顎の綺麗なラインに指を添わせた北川さんは、さっきまでの私がそうだったように、まるで観察するように私を見る。

冷静なまなざしに戸惑い、及び腰になったところで北川さんが口を開いた。

「他の男が好きなんだな? 情緒不安定になって突然泣き出すくらいに」
「え……まぁ、はい」
「可能性もないのに、それでも諦められないほど」

感情の乗らない声に問われ、なんでこんなこと聞かれているんだろうと思いながらも「……まぁ、はい」と答えていると、北川さんは私をなおもじっと見たあとで背筋を伸ばした。

「白石に頼みがある」

真面目な表情と声色だった。
横長の窓から入り込んだ光が、舞うホコリをキラキラと浮かび上がらせる資料室。

私の「……頼み?」という心もとない声がぽとりと落ちた。