鮮やかなピンク色にまたたくニーナが、すいっと、アイトの手から逃げ出した。くるくる舞い飛ぶ螺旋の軌道を目で追って、アイトがつぶやく。

「自由なニーナと頑張り屋のマドカに、ぼくは憧れてるよ。ニーナみたいに、動けるようになりたい。マドカみたいに、あきらめない心を持ちたい。憧れるばかりじゃダメだから、ほんの少しだけど、ぼくも頑張ったんだ」

 アイトは、手にしていた本をベッドサイドのテーブルに置いた。アイトの両足が床に触れて、アイトの両手が車椅子の肘置きをつかむ。その両腕に、力が込められる。
 えっ、と、あたしは息を呑んだ。
 ゆっくり、ゆっくりと、アイトが車椅子から立ち上がった。両手が肘置きから離れて、膝が伸びる。細い両脚が震えている。

 アイトが、痛みをこらえるしかめっ面を、ぎこちなく微笑ませた。
「マドカを驚かせたくて、練習した。やっと、立てるようになったよ」

 一年半かかった。
 動かし方を覚えたはずの体も、筋肉は少しずつしか付かなくて、じれったくて。だけど、少しずつ、一つずつ、アイトは、自分にできることを増やしていって。

 アイトが、一歩、足を踏み出す。
 一歩、一歩、また一歩。小さな歩幅が、それでも確実に、あたしとアイトの距離を縮めていく。

「すごい、すごいね、アイト……!」
 嬉しくて、泣きそうで、あたしはうまく声が出ない。アイトがえくぼを刻んで、白い歯を見せた。次の瞬間、アイトの体がよろける。
 あたしもアイトも、わずかな一歩を、とっさに踏み出した。

 ぬくもりと、重みと、アイトの肌の匂い、髪の匂い、あたしの耳をくすぐる吐息。抱きしめて支えた体から、鼓動の音が伝わってくる。
「五歩、進めた。最長記録」
「おめでとう」
「明日はもっと歩けるようになるよ」

 くすくすと、アイトが楽しそうに笑う。
 アイトの肩の向こうで、ニーナがピンク色の光をちかちかと、まばゆく高鳴らせている。あたしの心臓も、同じくらい速く熱く高鳴っている。

「ねえ、アイト」
 アイトは小首をかしげた。
「何?」

 あのね。
 生きていこうね。ちゃんと。ずっと一緒に。
 そしたら、愛してみたかった世界を、愛し始められる気がするよ。
 照れくさい言葉は、声にすることができなかった。だから、あたしは、ただ一言だけ、心いっぱいの思いを込めて、告げた。

「大好き」