最初に視界に映ったのは、淡いピンク色の光だった。
 あたしより少し先に起き出すニーナはいつも、まぶたを開いたあたしの目の前を飛びたがる。ニーナの光は、起き抜けの目にはまぶしすぎて、あたしは眠りから覚めるんだ。

 がたっ、と音がした。
「マドカ? マドカ、意識が戻ったの?」
 震える声が聞こえた。おかあさんの声だ。

 ニーナが視界から外れた。
 ああ、がたっていうさっきの音、パイプ椅子から立ち上がる音だったんだ。あたしを見下ろす父と母が、泣き出しそうな顔をしている。

 何があったんだっけ?
「おとうさん……おかあさん……」
 つぶやいたら、口の中が渇き切っているのがわかった。体に力が入らない。どこも痛くはない。

 手を握られている。母が、温かい手でぎゅっと、あたしの手を握っている。メイクをしていない母の顔、久しぶりに見た。
「よかった、マドカ」
 涙をこぼす母の隣で、父が顔を覆った。関節が太くて指が長い。あの手の形、なつかしい。

 ぼんやりと、ゆっくりと、時間が流れていくのを感じる。
 あたしは今、生きているらしい。だんだんと、体の感覚がはっきりしてくる。指先が動く。手、腕、足、脚。痛いところはどこにもない。

 死にかけたはずだ。
「何で? ここ、どこ?」

 引き裂かれそうな痛みを、絶叫してしまうほどの熱を、頭も体も記憶している。ざらざらと音をたててあたしが崩れていく恐怖の残像。あたしの脳のネットワークが崩壊しかけていると、確かに聞いた。

 母が涙声で説明した。
「ここは病院よ。わたしが務めてる、響告大学附属病院。マドカは計算室で意識を失っていたの」
「計算室……アイトは?」

 母は答えない。父が、子どもみたいに涙をごしごし拭った後、力の入らない笑みを浮かべた。

「AITOが、マドカが倒れたことを教えてくれたんだよ。家事システムとぼくのコンピュータで、一斉に警報を鳴らしてね。自滅修復プログラムが起動して、AITOが削除される前に」

 体の内側でザァッと音を立てて、全身の血の気が引いた。
「アイトは? アイトは消えちゃったの?」

 父と母が顔を見合わせた。くしゃりと緩んだ表情の意味が、あたしにはわからない。二人が笑った、ように見えたんだ。父が、あたしと母を交互に見ながら言った。

「マドカにはきちんと知らせるのがいいと、ぼくは思う。マドカが大きな作用を果たしたのは間違いない」
 母がうなずいた。
「そうね。わたしも賛成。言葉で伝えるだけじゃなく、マドカに実際に見てもらうほうがいいわね。その前に、あなた、ちょっと外してくれる? マドカの状態を診るから」

 了解と言って、父は病室を出ていった。ベッドサイドの白いカーテンに、のんきなニーナがじゃれ付いている。
 白衣を着た母は、手際よくあたしの血圧や体温、心拍数を測った。あたしはされるがままになりながら、腕に点滴がつながれていることに気が付いた。どれくらいの間、意識を失っていたんだろう?

「マドカ、水を飲む?」
「飲みたい」

 母はあたしの背中とベッドの隙間に腕を差し入れて、あたしが起き上がるのを手助けした。軽いめまいがした。目を閉じて、ぐるぐるするのが止まるまで待つ。母のため息が聞こえた。

「二日間、このベッドで眠りっぱなしだったのよ。その前は、一週間以上、ろくに食事をしていなかったでしょう? 体調が悪くて当たり前よ」

 そうだった。引きこもっていたんだ。本当は、あたしはまだ父と母を少しも許していなかったのに。