流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語

 おとなしく引き下がるように見せかけつつシューラー卿がエリッヒに提案した。

「殿下、エミリア殿を今宵のパーティーにご招待してはいかがですかな」

「それはどうであろうか。まだ都に着いたばかりでお疲れであろうし、もう少しここの生活に慣れてからの方が良いのではないだろうか」

 老人は譲らない。

「社交界になじんでいただくためにも、早い方がよろしいかと。都のしきたりも知っていただかなければなりませんからな」

「しかし、人前に出るにはまだ……」

「仮面舞踏会ですからな。顔の傷など問題にはなりますまい」

 エリッヒの気遣いをむしろ逆手にとるような無神経な指摘であった。

 そもそも仮面を付けて身分を伏せていては社交界への御披露目にはならないだろうに。

 かといって、これ以上かばわれてもエリッヒとの関係が表に出てしまうことになる。

 皇子に対しても態度を変えない頑固な老人を説得するのは無理のようだったので、エミリアの方から申し出た。

「お招きいただいて、光栄でございます。では今宵、楽しみにしております」

 お互いに目配せをすることもなくエミリアは女官に付き添われて退室した。

 廊下の空気がひんやりと衣装の中にも入り込んでくるような気がした。

 話の通じない老人との対面で気づかないうちに汗をかいていたらしい。

 腕で自分を抱くようにしながら廊下を歩いていると、女官がそっとささやいた。

「姫様、湯浴みをなさいますか。ご用意いたしましょう」

「そうしていただけますか」

「かしこまりました」

 浴室には湯がすでに用意されていて、浴槽には薔薇の花が浮かべられていた。

 いい香りが漂う。

「とてもすばらしい香りですわね。こちらではいつもこのようなものを?」

「季節でございますので」

 女官は淡々と答える。

「まるで夢のようですわ。このようなすばらしい湯浴みは初めてです」

 ナポレモのような田舎では考えもつかなかったことだ。

 エミリアは素直に礼を述べた。

「わたくしのためにわざわざ用意してくださって、ありがとうございます」

「お気に召して何よりでございます」

 淡々とした口調ではあるが、女官には笑みがほころんでいた。

「あなた、お名前は」

「マーシャと申します」

「宮殿にはいつから?」

「この春からでございます」

「あら、そうだったの。では、わたくしとあまり変わりませんのね。歳はおいくつ?」

「十二でございます」

 自分が十二の頃といえば病に伏せる前であった。

 まだ母上も兄たちも健在で今のような境遇などまったく想像もしていなかった頃だ。