流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語

「あなたはいったいここで何を?」

 戸惑いを隠すために無理に話題を変える。

「朝食前の読書だよ。古今東西の書物から知識を得るのも皇子としての務めの一つだからね。歴史を学べば国家の衰退を繰り返さずに済むかもしれないし、旅行記やら見聞録はまだ行ったことのない土地への理解を深めることができるだろう。それは戦争に負けないためにも必要な情報だからな」

 書物について語るときの目がシュライファーと同じだ。

 エミリアはエリッヒの話に引き込まれていた。

「あなたはここの本をすべて読んだのですか」

「そういうわけじゃないさ。まだ読んでいないものの方が多いよ」

「異国の書物も多いようですわね」

「ああ、東洋の物は文字が複雑で難しいね。外国の言葉はジュリエに教わったんだ」

「ジュリエさんに?」

「いろんなところに行ってるからね。自由な身分がうらやましいよ」

 話ながらエリッヒが笑い出す。

「なんですの?」

「いや、すまん。さっきからそのチェスの駒をずっといじっているじゃないか。よほど好きなのかと思ってね」

 言われて気がつくと、話を聞きながら手が勝手に動いて対局を再現していたのだった。

 あわてて引っ込めようとするエミリアの手をエリッヒがおさえた。

「せっかくだから、お手合わせ願おうか」

 二人は無言で駒を並べ、エミリアが先手で象牙のポーンを進めた。

 エリッヒが紫檀のポーンをすぐに合わせる。

 後手番の時のシュライファーがよくやる手だった。

 苦手な定跡に持ち込まれるとそれを覆せるほどの腕前はない。

 十手ほどで早くも劣勢が明らかになっていた。

 チェス盤の金の縁取りが輝き、水晶の盤面に蝋燭の光が反射して揺らめく。

 駒を置く音だけが響く小さな空間に二人の手が交錯する。

 紫檀のナイトに蹂躙され、チェックメイト。

 エミリアは男に背を向けた。

 負けた悔しさというよりは、下手な腕前を見せてしまった恥ずかしさをごまかせなかったからだった。

「お上手ですのね」

「あんたも筋がいい。紙一重だったよ」

 そんなことはない。

 明らかに実力差がありすぎた。

「わたくし、勝ったことがありませんの」

 つい声が詰まってしまう。

「シュライファーが……、習った執事が手を抜きませんでしたので」

 その瞬間、エミリアは後ろから乱暴に抱きしめられた。