◇ 図書室の再会 ◇

 先に湯浴みをしたところで部屋着が与えられた。

 庶民の男装姿とはお別れだった。

 ナポレモ同様に女官達がつきっきりで世話をしてくれる宮廷生活に戻ることができた。

 しかし、旅と野宿を経験した今のエミリアにとって、それはかえって煩わしいことであった。

 傷の具合について聞かれ、髪型についてあれこれと提案され、胸の瘡蓋傷についても詮索された。

 それが女官達の仕事なのだからむげに断るわけにもいかなかった。

 ナポレモでは当たり前だった王侯貴族の生活習慣が、今のエミリアにとっては気疲れの原因に変わってしまっているのだった。

 それでもやはり華麗な都の流行を取り入れた仕立てのおかげで、鏡の中にはまったく見たことのないような自分の姿が映っていた。

 もちろん、顔の痣や傷はまだ癒えていない。

 しかし、それを差し引いても見違えるような姿に、流転の王女は女官達に素直に感謝の気持ちを述べていた。

「ありがとうございます」

「いえ、どういたしまして」

 ふだん、あまりそういった言葉をかけられることがないのか、驚いたような顔をした女官と鏡の中で微笑みを交わす。

 異国の宮廷での生活も悪くはないと思った瞬間だった。

 簡素な食事を与えられた後は、医者がやってきたが、『死神の手形』を見て顔をしかめると、放っておけば治ると言い残してすぐに出ていってしまった。

 エミリアが案内された部屋は宮殿内といっても北西端の塔にあった。

 寝台が置かれているだけましといった質素な小部屋であった。

 剥き出しの砂岩の壁が壮麗な宮殿がかつては軍事要塞だったことを物語っている。

 初夏にもかかわらず部屋の岩壁は冷たく、窓からは夜風が吹き込んでくる。

 部屋には寝間着と夜会用のドレスが用意されていた。

 その日は他に呼び出される用事もなく、早めに寝台に入った。

 しかし、石壁から伝わってくる冷気のせいで夜中に何度も目が覚めてしまい、眠りが浅く、溜まった疲労が抜けなかった。

 見た目は壮麗な宮殿なのに、部屋の居心地はナポレモの城館ほどではなかった。

 ナポレモにいたころの天蓋付寝台の快適さが懐かしい。

 ここにはぬいぐるみもない。

 野宿よりはましなはずなのに落ち着かない。

 ふいにエリッヒのことを思い浮かべてからだが熱くなる。

 どのような状況であっても、そばにいてくれるだけでなんとでもなったのだ。

 しかし、それはここではかなわぬことであった。

 彼は今いったいどこにいるのであろうか。

 旅の思い出をかみしめながらぼんやりしているうちに初夏の夜空にほんのりと色がつき始めていた。

 眠るのをあきらめたエミリアは寝間着のまま塔内の石段を下りて、宮殿内を歩いてみることにした。

 フラウムの宮殿は北側に居住区、南側に政務区画棟があり、東西両端が連絡翼でつながっている。

 すべて時代や様式の異なる建物で、それぞれに帝都として繁栄してきたフラウムの歴史が刻み込まれていた。

 長方形に切り取られた中庭は幾何学模様の庭園になっていて、そこだけでもナポレモの城館すべてが収まってしまうほどの規模だった。