中の部屋は思ったほど広くはなかった。

 細長く幅の狭い部屋で、奥に机があり、その向こう側で恰幅の良い老人が笑みを浮かべてエミリアを見つめていた。

 どうやら皇帝バイスラント三世らしい。

 やや量が少ないものの白髪頭に白いあごひげの老人で、街の広場を散歩していても誰も気づかなそうな穏やかなたたずまいだ。

 五十年にわたる平和な治世を築いてきた偉人には見えない。

 公的な場ではないからか、茶色の上着をかぶっただけのくつろいだ服装で、宝石などの飾りはなく、スカーフも付けていなかった。

 素材が良いのは見て分かるが、高貴な身分にしては簡素な姿だった。

 机の上には書類が置かれ、決済署名をしている最中だったようだ。

 かたわらには見覚えのある黒衣の老人がいて、封蝋をランプであぶっていた。

 ナポレモの城館で会ったシューラー卿だった。

 王女は一歩前に踏み出して名乗った。

「エミリア・ファン・ラビッタ・オレ・アマトラニでございます。ただいま参内いたしました」

 エミリアの顔を見たシューラー卿が封蝋を置いて立ち上がった。

「これはいったいなんとしたことであるか。王女ともあろう者がなにゆえにそのような格好を。その顔の傷も何事か。無礼であるぞ」

 シューラー卿の怒りは無理もないことだった。

 男装でしかも庶民の服装では、拝謁にふさわしくないのは当然だ。

 短髪も貴族の格式にはふさわしくないし、顔の傷もごまかしようがない。

 エミリアは正直に答えた。

「道中危ない目に遭いましたので、格好を改めて参りました」

 王女の言葉に、ようやく皇帝が口を開いた。

「危ない目とは?」

 低いがよく通る声だ。

 かたわらのシューラー卿が口を挟みたいようなそぶりを見せているが、エミリアは臆せず真っ直ぐ皇帝を見つめ返しながら答えた。

「何度か命を狙われました」

「護衛の者は?」

「騎兵士官が一人でした」

 皇帝は目を見開いて側近を叱りつけた。

「なんと! シューラー卿、護衛の者はどうしたというのだ」

 シューラー卿は表情を変えずに答えた。

「騎兵中隊を派遣するように手配いたしましたが」

「ではなぜ一人だけになったのだ」

「どうやらアマトラニ王国の混乱は深刻なようでございますな」

 シューラー卿が咳払いをした。

「いかがでございましょう、陛下、治安維持のためにアマトラニ王国に我が帝国軍を駐留させてみては。摂政のマウリス伯も心強いのではないかと」

 皇帝は静かにうなずいた。

「それでは、そのようにとりはからうが良い」