こうした奇跡を起こすエミリアを魔女として糾弾しようとする者もいた。

 手や体を洗うことすら無駄だと思われていた時代である。

 免疫や衛生といった科学的知識のない人々にとって、そもそも理由など誰にも分からなかったし、魔女の妖術という迷信の方が受け入れられやすかったのだ。

 しかし、キューリフを初めとする兵士達が施薬院の警備にあたってエミリアを守り抜いた。

 誹謗中傷を受けてもなお懸命に人々を救おうとする元王女の姿は、迷信にとらわれていた街の人々の心をも少しずつ変えていった。

 なによりも献身と慈愛こそが病に冒された人々にとっての生きる希望だった。

 回復した人の数が増えるにつれて、治った者の胸に残る瘡蓋傷をもはや誰も『死神の手形』などとは呼ばなくなっていた。

 こうしてフラウムの街は疫病を克服するきっかけをつかむことができたのだった。

 老婆の奇跡の日以来、エミリアは宮殿に戻ることはなかった。

 身代わりになって外出の手助けをした女官達にもおとがめはなく、むしろ役人が状況を視察に来て皇帝陛下に報告したことで、食料や薬草、薪などの資材が届けられるようになった。

 埋葬作業に携わる兵士達も公式に派遣されるようになり、ミレイユ川右岸の皇室領が墓地として下賜され、冬を迎えるまでにフラウムの街は急速に清潔さを取り戻していった。

 フラウムの大商人達の間からも寄付が集まり、墓所に隣接した古い空き家を改装して病人を収容する施薬院も作られた。

 青痣の聖女の起こした奇跡の噂がカーザール帝国内だけでなく、周辺諸国へも広まっていった頃、アマトラニ王国でも事態が急速に動き始めていた。