流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語

 教会の前には放置したままの死体が積み重ねられ、ひどい悪臭が漂う空中を黒く埋め尽くすようにハエが勢いよく飛び交っていた。

 教会の扉の前でエミリアは声をかけた。

「お願いでございます。この子の埋葬を」

 しかし、中から応じる様子はなかった。

 重い扉を押すと鍵はかかっておらず、中に入ることができた。

 エミリアは護衛の兵士に目で合図して待っていてもらうことにした。

 聖なる空間であるはずの教会内部には地獄絵図が再現されていた。

 腐臭が充満し、あちこちに椅子に座ったままの死体や祭壇にもたれかかった死体が放置されていた。

 崩れかけた遺体からはむき出しの骨が突き出て、眼球が落ちて転がっている。

 黒衣の死体もある。

 教会の聖職者もみな疫病にかかって亡くなってしまったようだった。

 もがき苦しみ、体をかきむしったままの姿が痛ましい。

 これでは埋葬どころではない。

 マーシャが口を押さえて震えながら泣いている。

 エミリアは子供の遺体を床の上に寝かせてマーシャを抱き寄せた。

「大丈夫。わたくしがついていますよ」

「姫様、出ましょう。いけません、ここにいてはいけません」

 なだめても少女の嗚咽はおさまらない。

 無理もないことだ。

 目に見える分、地下墓所の闇よりも現実の光景の方が何倍も恐ろしい。

 自分自身、あまりの腐臭に吐いてしまいそうだ。

 マーシャをつれて息を吸おうと教会の裏へ出た。

 しかし、裏に広がる墓地にも死体が捨てられていた。

 野良犬が死体のまわりをうろつき、エミリアの姿を見つけてうなり声で威嚇してくる。

 旅の途中で野犬に襲われたときの記憶がよみがえる。

 何もできなかった自分を救ってくれたのはエリッヒだった。

 だが、今は彼に頼ることはできない。

 へたりこんだマーシャもいる。

 こんなことに巻きこんだのは自分だ。

 自分が守ってやらなければならない。

「ひ、姫様、お逃げください」

「いいえ、あなたは下がっていなさい」

 強気な態度を見せていても、心の中では絶望感に押しつぶされそうだった。

 両足を広げて頭を低くしながら野犬がうなる。

 隙を見せたら飛びかかってくるだろう。

 エミリアは視線を合わせながら、地面に落ちていた鍬をゆっくりと取り上げた。

「立ち去りなさい! それはお前達の餌ではありません!」

 エリッヒがやっていたように、滑稽なほど手足を広げ、鍬を左右に振り回しながら野良犬に立ち向かっていった。