流転王女と放浪皇子 聖女エミリアの物語


   ◇ 疫病の地獄絵図 ◇

 夏の終わり頃からフラウムに不穏な噂が広まり始めていた。

 どこからか流れ着いた旅人が行き倒れになり、疫病が広がり始めているということだった。

 宮廷内でも女官達の間ではその話題で持ちきりであった。

 医者ですら科学的知識などまったく持たない時代である。

 流行りやすい疫病にかかった人に対する扱いは特にひどいものであった。

 病気にかかるのをおそれて、家族ですら物置や家畜小屋に隔離して死ぬまで放置するありさまであった。

 遺体の扱いですら尊厳も何もなかった。

 無知蒙昧な人々には科学よりも迷信の方が受け入れやすい。

 死体に触れば病気が移ると信じられていたせいで、埋葬せずに放置されるのだ。

 路上に放置したことがばれないように、死体の顔を焼きつぶして分からないようにしてあったり、小舟に乗せて川に流してしまうことも多かった。

 広場の井戸に死体が投げ込まれていたとか、葬儀費用の払えない貧民達が教会の前に遺体を放置していくので街中に悪臭が漂い始めているといった話がエミリアの耳にも入るようになっていた。

 彼女にとって、もう一つ気がかりな噂があった。

 自分と同じように奇跡的に疫病から生還した者は『死神の手形』が残っているらしい。

 本来ならば治癒を祝福されるべきなのに、それを暴かれ、『悪魔の印を持つ者』として火あぶりにされた人々もいるといった噂を耳にして、エミリアにはとても他人事とは思えなかった。

 宮廷内でも役人達の動きが慌ただしくなり、夜会の開催が減っていた。

 本来ならばブドウの収穫を祝う時期だったが、そのような明るい話題はまったく伝わってくることはなかった。

「お願いがあるのですが」

 エミリアは朝食時にエリッヒに提案した。

「貧しい者たちのために施薬院を設置してみてはどうでしょうか。せめて死に行く者たちに埋葬だけでもしてあげなければなりませんでしょう」

 エリッヒは申し訳なさそうに首を振った。

「残念ながらそれはできない」

「なぜですの?」

「疫病にかかった者に関われば当然その者にも病気が移る。だから医者ですら患者に触れることはない。どんな薬草も効かないし、かえって流行を広めてしまうことになるだろう」

「ならばわたくしがやりましょう」

「馬鹿なことを言うな」

「なにゆえですか。わたくしはこの病から生き残りました。だから、今さらおそれることなど何もありません。それに迷信で無駄に人が争いを起こすのを黙って見過ごすわけにはいきません」

「だめだ」

「だからなぜですの?」

「あんたに死なれたら困るからだ」

「説明になっていませんわ」

「それはつまり……、人質であるあんたが死んだら外交上問題になるからだ」