パクチーの王様


 いきなり、圭太に、俺の弟と結婚しろ、と言われたときのこと。

 初めて此処に来たときのこと。

 あのとき、修行僧のような顔つきで、逸人は、まな板の上のパクチーを見つめていた。

 緑のパクチーの前の、白いコックコートと白い手が、今も目に焼きついている。

 今、逸人はその白い手で、婚姻届をつかんでいたが、何故か裂けないようだった。

 うぬっ、という顔つきで、今も修行僧な彼は、薄いその紙を見つめている。

「なにで出来ているんだ、この紙は。
 裂けないんだが……」

 いや、それは精神的なものかと……。

 やはり、逸人さんも裂きたくはなかったのか、と芽以は、ちょっと笑ってしまった。

 相手も自分のことを好きでいてくれるようだ、となんとなく思ってはいても、人の心はすぐに移ろってしまうから。

 紙一枚のこととはいえ、その絆を断ち切ってしまうのは勇気がいる。