糸原駅を出て南口ロータリーを渡って笹山公園に向かった。

 終わりの時間、終わりの場所が近づいてくる。

 緩い上り坂を歩きながら先輩が言った。

「人と別れるときは『さよなら』と言うんだよな」

「はい」

「じゃあ、また会えたときは何と言うんだ?」

「また会えたときですか……。『ただいま』ですかね。それは帰ってきたときか」

「じゃあ、『ただいま』と言われたら何と言うんだ?」

「それは『おかえり』ですね」

「もどってきてくれてうれしいという意味か?」

「そうです」

 先輩が安らいだ笑みを浮かべる。

「人間にはいろいろな言葉があるな。気持ちを伝えるのに便利な言葉がたくさんあるな。でも、その言葉を使うときに少しずつさびしくなるのはなぜだろう」

「先輩はさびしさを感じるんですか」

「ああ、今はな。幽霊なのにな」

 先輩がふっとため息をついて丘を見上げる。

「こんな気持ちは初めてだ」

 そのつぶやきが僕の胸にしみこんでくる。

 ぽっかりと穴が空いたように寒さがしみこんでくる。

 手から伝わるぬくもりもその空白を埋めることはなかった。

 石段を上がっていつもの展望台のコンクリート階段までやってきた。

 並んで腰掛けると、先輩がずっと胸に抱いていた博多のお土産物を僕に差し出した。

「これを持っていてくれ」

「凛に渡します」

「おまえの一番大切な人だな」

「僕の一番大切な人は先輩ですよ」

「私は身代わり幽霊だ」

「僕の一番大切な人ですよ」

「朋樹」

「はい」

「私もおまえが一番大切だ」

 先輩が僕の袖をつかんだ。

「今日は私が消えるまでそばにいてくれ」

「消えないでくださいよ」

「消えるだけだ。私はここにいる」

 手を握るとぬくもりが感じられた。

 日はもう可也山の向こうに見えなくなっていた。

 笹山公園を包み込むように藍色が濃くなっていく。

 先輩がそっと顔を近づけてきた。

 頬と頬がふれあう。

「先輩?」

 見つめると先輩が目を閉じていた。

 僕に迷いはなかった。

 握った手に力を込めた。

 もう一方の手で肩を抱き寄せる。

 唇を重ね合わせようとしたそのとき、僕の手からそこにあったものが消えた。

 先輩の姿はなかった。

 でも、僕の唇にはまだぬくもりが残っていた。

 西の空に星が一つ、輝いていた。