「先輩は好きな人っているんですか」

「いや、いないかな」

「でも、誰か分からない誰かとこの風景を見ていたような気がするんですよね」

 僕は黙ってうなずいた。

「その人は今でもここにいるんですよ」

 彼女が僕の胸を指さした。

「先輩のぽっかりあいた心の中に。だからぽっかり穴があいたままなんですよ」

 何を言っているんだろう?

「その人は今でもここにいるんですよ。だから穴が開いたままなんですよ。穴は埋めるためにあいてるんじゃなくて、そこに何かがあったことの、何よりの証なんですよ」

「でも、それが何なのか、誰なのか、僕には分からないんだ。それはもう、僕の心の中には誰もいないということなんじゃないかな。消えてしまったんだよ」

「消えてなんかいませんよ。人を好きになる。そんなすてきな気持ちを教えてくれた人が消えてしまうなんて、そんなわけないじゃありませんか。心にこんなにぽっかり穴が開いてるんですよ。何か忘れたくない、とても大切なものがここにあった。その形が消えないくらい、よっぽどすてきな恋だったんですよ」

 膝の上に手を置いて背筋を伸ばすと、彼女はそっとつぶやいた。

「消えてなんかいませんよ。ここにいますから」

 分かるようで分からない話だった。

 どちらにしろ、さびしい話だ。

「先輩、連絡先交換してもらっていいですか」

 彼女が鞄からスマホを取り出した。

 僕はポケットからスマホを取り出して渡した。

 彼女が僕のスマホで二人の写真を撮る。

 とりあえず、微笑んでおいた。

「あ、ほら、けっこういい写真じゃないですか。じゃあ、私のスマホにも送信っと」

 僕に返されたスマホには、『一片まふゆ』と連絡先が表示されていた。

「先輩は『星朋樹』っていうんですね」

「そうだよ。よろしく」

「幽霊先輩かと思いましたよ」

 彼女が片目をつむる。

 ここは笑うところなんだろうな。

「ウィンクもジョークも下手だね」

「あ、ひどい、じゃあ、先輩もなんか言ってくださいよ。おもしろいやつ」

「困ったな。ピンチだな。レオナルド・大ピンチ……」

「えー、さむ、春なのに寒すぎますよ。若葉が吹き飛ぶ寒さですよ。氷河期が来ますよ。マフラー編まなくちゃ」

 彼女は立ち上がって、スカートをはたくと、コンクリート階段を一段下りて僕に向き直った。

「じゃあ、私は帰りますね」

「うん、また学校で」

 彼女は僕に手を振って笹山公園の石段を下りていった。

 日が沈んで暗くなっていた。

 僕も立ち上がって背伸びをした。

 風が吹き抜けていく。

 若葉の芽吹いた欅の枝が音を鳴らす。

 スマホが震えた。

『私、幽霊じゃありませんから』

 まふゆさんの写真に幽霊のデコレーションがついていた。

 かわいい幽霊と知り合いになった。

 明日、凛に教えてやろう。