「いえ。松浦さんの言う通りです」
松浦さんはこの一年は我慢になると言ったけれど、どうせ今、そんな書類を作ったところで、あの部長だ。デスクの上に散らかっている書類に紛れて無駄に終わる。
だったら、一年間でしっかりと記録してまとめたものを、新しい部長に提出した方がいい。
なにより、そんな訴え方があるんだということ自体が目からうろこ状態だった。
「ありがとうございます。さっそく始めてみます」
目を合わせ告げると、松浦さんは「いや。全然」とカラッとした笑顔を向けてから「そうだ」と何かを思い出したように呟く。
「金子さんがどうのって言ってたけど。友里ちゃんの不機嫌の理由は、金子さんが加賀谷さんと仲良しこよししてたから?」
顔を覗き込んで聞く松浦さんに「それは……」と、少し口ごもる。
じっと見つめてくる瞳から逃げるように視線を落とし……ぶらぶらと揺れる松浦さんの手を見る。
そして、金子さんが加賀谷さんにしたみたいに、大きな手をするっとすくいあげて握った。
「金子さん、甘えた声出して、こうして加賀谷さんの手を握ってたんです」
胸の高さで握った手を、じっと見つめる。
松浦さんの指は男性なのに長くきれいで、そして冷たかった。寒空の下で私を待っていたから冷たくなってしまったのか、もともと冷え症なのか。
温度が違うからか、私の手とは皮膚の柔らかさも少し違って思えた。
私とは大きさも厚さも違う手をぼんやりと眺めながら、そういえば私は、加賀谷さんの手の温度も感触も、なにも知らないんだなぁと思い悲しくなる。
そもそも、私が知っている加賀谷さんの情報なんて、職場が同じなら誰でも知れるような表面上のことだけ――。
「……あの、友里ちゃん」
胸が切なさに悲鳴を上げていたとき、急に名前を呼ばれハッとする。
顔を上げると松浦さんが困ったような笑みを浮かべていた。



