オオカミ御曹司、渇愛至上主義につき



「……え。誰っすか。この美形」

十秒弱の沈黙を破ったのは麻田くんの意外な言葉だった。

「え、知らないの?」と聞いた工藤さんに、麻田くんは「だってうちの部署と関わりないですよね?」と不思議そうに首を傾げる。

「仕事一緒にしたら覚えてるけど、さすがにそれ以外のひとまでは……だってうちの会社、工場部分合わせたら三百人近くいるじゃないですか。で、どなたなんですか?」

まさかだった。社内で知らないひとなんていないと思っていただけに、〝麻田くん、本気で言ってるの……?〟と驚いてしまったけれど、次第におかしくなってくる。

だって、なんとも言えない笑顔を浮かべている松浦さんを見たらダメだった。

あんなに自信満々だったのに、初めて逢った同性の後輩に鼻を折られてるという事実に、じわじわと笑いが浮かんできてしまう。

きっと、麻田くんに知られていないことは、松浦さん的にも〝まさか〟だったんだろう。

思わず我慢できずに、手を口にあて「ふふ……」と笑ってしまうと、松浦さんが私に苦笑いを向けた。

「言いたいことはわかる。友里ちゃん、〝いい気味〟だとか思ってるんだろ」
「すみません。その通りです。だってあの松浦さんが麻田くんなんかに凹まされてるから愉快で……ふふ。知られてないとか……ふふっ」

「俺、今、ここ十年くらいで一番恥ずかしい」

気に入らなそうな笑みを浮かべる松浦さんをひと通り笑ってから、未だ誰だかわかっていない麻田くんに視線を移した。

「企画事業部の松浦さんだよ。女性社員がキャーキャー騒いでるの聞いたことない?」

説明しても、麻田くんはピンときていない様子で首を振る。