「……図鑑ですか?」

表紙を見て聞いた友里ちゃんが、ページをめくる。
しっかりとした木製の本棚に並べてあるのは、どれも海の生物の図鑑や画集だ。

暗い水中を漂うミズクラゲのページを眺めながら、友里ちゃんが「こういうの、好きなんですか?」と聞くからうなずいた。

穏やかで優しい朝だな、と思う。

「海とか空が昔から好きかな。どれだけ眺めていても飽きないし。なにかで、クラゲには脳がないって知ってからは、とくにクラゲ眺めてるのが好きになった」

「脳?」
「つまり、喜怒哀楽を感じることがないってこと。楽しいとか、悲しいとかなにも思わない」

じっと、真っ直ぐな眼差しで俺を見ている友里ちゃんから、目を伏せ「だから」と続ける。

「当然、〝一番じゃないと〟なんてことも考えないし、脳がないから損得勘定だってない。だから……」
「〝いいなぁ〟って……思ったんですか?」

言い淀んでいた先をあてられ、バツの悪さから笑みをこぼし「さぁ」ととぼけると、友里ちゃんは視線を図鑑に落とす。

「なにも感じないのって、幸せなんでしょうか」

ぽつりと呟いた彼女に「どうだろ」と微笑む。
手を伸ばし、ミズクラゲをなぞる指先を捕まえると、友里ちゃんはぴくりと肩を揺らした。

「まぁ、人間のほうが優れてるのは言うまでもないし、無い物ねだりなんだろうけどね。クラゲじゃ、先を見越した正しい選択もできないだろうし」

細く綺麗な指をするすると撫でる。
なんでもない触れ合いが楽しくて嬉しくて繰り返していると、しつこいとばかりに軽く手を振り払われる。

友里ちゃんは「くすぐったいです」と文句を言ってから、「でも」と続けた。