だから、この屋敷に来てトマスと話をしたときに、心底ほっとしたのだ。
彼の持つ空気は独特で、姿を見せるたびにいら立ちをあらわにした父親とは違い、マルティナが戸惑ってオドオドした態度をとっても怒らない。どんなに時間がかかっても笑顔で待っていてくれるし、できたことを褒めてくれる。
父から与えられなかった愛情を、マルティナはトマスに与えてもらった。
その感情が、父や兄に向けるようなものだったのは、しかしてほんの一瞬だった。
ドレスを着せられ、本来持つ女らしさを肯定されるようになると、マルティナの中の乙女心は、見いだされるのを待っていたかのように一気に育っていった。
かわいいドレスを着て、トマスにきれいだと言ってもらいたい。
勉強をして、トマスに褒めてもらいたい。
ダンスを練習するなら、トマスと踊ってみたい。
夜会に行くのなら、トマスにエスコートしてもらいたい。
トマスは従者なのだから、ダンスもしなければ夜会にも出席しない。
だけど、マルティナはすべてのことをトマスとしたかった。
彼が一緒でないならば、夜会になど行かなくてもいいし、ダンスもできなくていい。
トマスとだけ、いられればいい。
思春期特有の思い込みの激しさもあるだろうが、マルティナにとっては、世界のすべてがトマスで構成されつつあった。



