「前はね、一心不乱で描けたんだよ。ただ好きな気持ちだけで。でも今はなんのために描いてるのか分からない」
そう言ってブルーシートに置かれていた描きかけのキャンバスをそっと持ち上げた。
そこには黒い筆で何度もぐちゃぐちゃと消した跡。
鉛筆で下書きされた人物画のようなものは分かるけれど、それが誰なのかはもう絵の具で塗りつぶされている。
「でも、なんのために描くのか分かろうとするために描いてる気もする」
先輩は切なそうに黒い絵を見つめた。
自分でぐちゃぐちゃにしたくせに、視線は黒色の向こう側。きっと優しくなぞるように鉛筆で描いた誰かのことを見ていた。
「……なにかあったんですか?」
そう尋ねたけれど、先輩は眉を下げるだけで教えてはくれなかった。
それは深く聞いてはいけない雰囲気で。もう違う話をしようと言わんばかりの横顔で。
そんな先輩は、まるで絶対に掴めない雲のようだ。傍にいるのに隣にいるのに、とても遠い存在に思えてくる。
「先輩は、ズルいですね」
ドキドキさせておいて、部屋にまで上げておいて距離を感じさせるなんて。



