翌朝、降り続いた雨は上がり、けれど大地は泥濘んでいた。
出勤すると、今日は千夜ちゃんも出勤していて、上司に侘びているところだった。
なぜ僕は今、仕事をしているのか?残りわずかの陽奈子との時間をともに過ごせず、なぜ?
そんなことを思っても社会は小さなひとりひとりが少しずつの力を出し合って成り立たせているもので、生活の為にはお金も稼がなければならなくて、でもそれよりも大切なものもあるはずなのに、それでも仕事はやめられなくて。
考えても仕方がないことを考え尽くして、けれど結局、どう転んでも仕事をするという日常でしかなくて。
平時には仕事、早く終業した日にはお見舞い、休日にお見舞い。
それはある種の救いでもあったのかもしれない。
お見舞いに行く毎にやせ細り、弱っていく姿は正直身にこたえる。
仕事という時間がなければもしかしたら泣き崩れて打ちひしがれていたかもしれない。
陽奈子自身が頑張っているのに、僕は弱い。
「今日も食べられなかったなぁ……」
今日食べられたのはグレープフルーツを二欠片。病院食は、ほぼ食べられないので無しにしてもらったらしい。
「治ったら何食べたい?」
「絶対、十六夜のアクアパッツァ!」
「美味しいもんね」
「うん、あと、さくらんぼ狩り」
「前に言ってた向日葵畑も行きたいね」
「そうだね」
手術が出来ない陽奈子の身体は、今、抗がん剤の治療を受けている。
抗がん剤の治療と、病気そのものの不調なのかは分からないけれど、日によって、いや、日の中でも体調は波があって話すことも辛そうな時もある。
治療薬には痒みを伴ったり、吐き気をもよおすものもあり、本当に辛そうだ。
そんな時は陽奈子から“今日は来ないでほしい”とメールが来る。
逆に少し調子が良いと食べたい物や見たい物、欲しい物をメールしてくる。
その全てを叶えられるわけではないし、まして食べ物なんて持っていっても一口二口しか食べられないこともザラだけれど、僕に少しでも寄りかかってくれていると思えば嬉しかった。
辛いや苦しい、を零すこともあった。
けれど絶対に負けないと同じくつぶさに言う。
長い梅雨が明ける頃、陽奈子が一時退院することになった。
抗がん剤治療のクールダウンに合わせて取られた退院で、その実、進行している病状に少しでも安らぎの時間をと取られた退院措置だった。
退院前日にお見舞いに行ったら久しぶりに家に帰ることを喜んでいた。
ちょうど休日で、昼中からお見舞いに行くと夏がすぐそこに来ているようで空が高い。
窓から遠くに見える青空が綺麗で、嬉しいと喜ぶ陽奈子は空に溶けそうで。
「結婚しようか」
思わず、僕の願いが溢れ出た。
陽奈子が病気だからじゃない、陽奈子が陽奈子だから共に有りたいと乞い願う。
「……やだ」
「え」
「そこは喜んでくれるところじゃないの?」
思わぬ返答に僕は戸惑い、陽奈子は笑う。
確かに、今この瞬間にプロポーズするつもりもなく本音がこぼれ出てしまっただけのものだけれど、滑稽も良いところだ。
「今は、嫌だよ。今結婚なんてしたら学くんを病気に縛るみたいですごく嫌」
「縛られたところでこの先一緒にいることに変わりは無いのに」
「やだよ。学くんの一生を縛るなら、ちゃんと元気な時がいい。だから……今は絶対嫌」
「頑なだな」
病気だってなんだって、君に縛られるのなら……君を縛れるのならなんだって良いのに。
「感傷に浸ってされたプロポーズなんて要らない。ねぇ学くん私の手を最後まで放さないで、一緒に闘ってくれたら、後は幸せになってね」
「なんだよそれ」
伝う涙を隠すことなく僕は泣く。
「今が幸せじゃないとでも思ってるの?」
「同じだ。私も幸せだよ」
僕は泣きながら怒り、陽奈子は笑う。
出勤すると、今日は千夜ちゃんも出勤していて、上司に侘びているところだった。
なぜ僕は今、仕事をしているのか?残りわずかの陽奈子との時間をともに過ごせず、なぜ?
そんなことを思っても社会は小さなひとりひとりが少しずつの力を出し合って成り立たせているもので、生活の為にはお金も稼がなければならなくて、でもそれよりも大切なものもあるはずなのに、それでも仕事はやめられなくて。
考えても仕方がないことを考え尽くして、けれど結局、どう転んでも仕事をするという日常でしかなくて。
平時には仕事、早く終業した日にはお見舞い、休日にお見舞い。
それはある種の救いでもあったのかもしれない。
お見舞いに行く毎にやせ細り、弱っていく姿は正直身にこたえる。
仕事という時間がなければもしかしたら泣き崩れて打ちひしがれていたかもしれない。
陽奈子自身が頑張っているのに、僕は弱い。
「今日も食べられなかったなぁ……」
今日食べられたのはグレープフルーツを二欠片。病院食は、ほぼ食べられないので無しにしてもらったらしい。
「治ったら何食べたい?」
「絶対、十六夜のアクアパッツァ!」
「美味しいもんね」
「うん、あと、さくらんぼ狩り」
「前に言ってた向日葵畑も行きたいね」
「そうだね」
手術が出来ない陽奈子の身体は、今、抗がん剤の治療を受けている。
抗がん剤の治療と、病気そのものの不調なのかは分からないけれど、日によって、いや、日の中でも体調は波があって話すことも辛そうな時もある。
治療薬には痒みを伴ったり、吐き気をもよおすものもあり、本当に辛そうだ。
そんな時は陽奈子から“今日は来ないでほしい”とメールが来る。
逆に少し調子が良いと食べたい物や見たい物、欲しい物をメールしてくる。
その全てを叶えられるわけではないし、まして食べ物なんて持っていっても一口二口しか食べられないこともザラだけれど、僕に少しでも寄りかかってくれていると思えば嬉しかった。
辛いや苦しい、を零すこともあった。
けれど絶対に負けないと同じくつぶさに言う。
長い梅雨が明ける頃、陽奈子が一時退院することになった。
抗がん剤治療のクールダウンに合わせて取られた退院で、その実、進行している病状に少しでも安らぎの時間をと取られた退院措置だった。
退院前日にお見舞いに行ったら久しぶりに家に帰ることを喜んでいた。
ちょうど休日で、昼中からお見舞いに行くと夏がすぐそこに来ているようで空が高い。
窓から遠くに見える青空が綺麗で、嬉しいと喜ぶ陽奈子は空に溶けそうで。
「結婚しようか」
思わず、僕の願いが溢れ出た。
陽奈子が病気だからじゃない、陽奈子が陽奈子だから共に有りたいと乞い願う。
「……やだ」
「え」
「そこは喜んでくれるところじゃないの?」
思わぬ返答に僕は戸惑い、陽奈子は笑う。
確かに、今この瞬間にプロポーズするつもりもなく本音がこぼれ出てしまっただけのものだけれど、滑稽も良いところだ。
「今は、嫌だよ。今結婚なんてしたら学くんを病気に縛るみたいですごく嫌」
「縛られたところでこの先一緒にいることに変わりは無いのに」
「やだよ。学くんの一生を縛るなら、ちゃんと元気な時がいい。だから……今は絶対嫌」
「頑なだな」
病気だってなんだって、君に縛られるのなら……君を縛れるのならなんだって良いのに。
「感傷に浸ってされたプロポーズなんて要らない。ねぇ学くん私の手を最後まで放さないで、一緒に闘ってくれたら、後は幸せになってね」
「なんだよそれ」
伝う涙を隠すことなく僕は泣く。
「今が幸せじゃないとでも思ってるの?」
「同じだ。私も幸せだよ」
僕は泣きながら怒り、陽奈子は笑う。



