「階段から落ちたの、覚えてねーの?」

ぼんやりとする頭の隅に、鶴見営業所の階段が浮かんできた。
シンさんの手を振り払って階段から足を踏み外したんだった。

「シンさんは?」

最後に見えたのはシンさんの寂しそうな顔。

「末岡さん?」
「そう」
「…あの人が気になんの?」

大野さんが私から目を逸らす。
私も天井を見て答えた。

「あの人に謝らなきゃいけないの」
「あの人はここには来ない」
「…そっか……」
「俺が来るなって言ったんだ」
「え?どうして?」
「…わかんねー」

大野さんはチラリと私を見て、立ち上がった。

「もうすぐおばさん戻ってくるから、俺は会社に戻るな」
「おばさん?」
「ああ。やっぱ、おまえ、母ちゃん似だな」

大野さんがニヤリと笑った。
久しぶりにその嬉しそうな顔を見た気がした。

椅子にかけてあったスーツの上着を羽織る姿が、憎いくらい格好良い。

「おまえが気が付いて良かったよ。また来る」

そう言って長い脚でサッサと部屋から出ていった。