ひとつの扉をくぐったそこは、赤い絨毯がどこまでも伸びる廊下だった。
壁には均一に蝋燭の明かりが灯っている。
白いその火が蝋燭だと気付いたのは傍を通った時。白い炎なんて初めて見た。
物珍しげに先に進んだあたしの後ろで、シアともうひとりの人(そういえばまだちゃんと名前を聞いていない)が、扉に向き直って何かを呟いている。
その瞬後、先ほどまであった扉が跡形もなく一瞬で消えた。扉があったはずのその空間には、同じような長い絨毯と廊下が続いているだけになった。
「…しばらくは使えないな」
「召喚の儀は今のジェイド様の体には負担が大きすぎます。今回は結果的に儀式として成立しなかったから今ジェイド様もご無事ですが、儀式とは本来相応の対価を払うもの。そう何度も行えるものではありません…此度の失敗はかなりの痛手となりましょう」
「嫌味ならどうせリズに言われるさ。幸い満月が近い。月の魔力を借りれば儀式はまた行える」
ふたりが話す内容は、小説や漫画で見るような話そのものだ。
そこまで小説や漫画を読むわけではないけれど、こんなことになるならもっと読んでおけば良かった。そうしたらもう少しそれなりの対応が、あったかもしれないのに。もう今更だけど。
ひとまず殺されるという一番最悪な展開だけは免れている。そのことにはきっと、感謝しなくちゃいけない。再び目の前を大股で歩き出すこの少年に。
年下のくせにちょっと生意気な態度と口調だけど。
「リズ様の見解でもこの娘が危険だと判断されたら、すぐに私が処分します。よろしいですね」
「まぁ、おれもリズには強く出れないからなぁ。その時は仕方あるまい」
「えっ」
前言撤回だ。
こうゆう場合は、自分の身の安全が完全に保障されるまで、安心しちゃいけない。油断しちゃいけないんだ。
暫く長い廊下を、シアの背中を追いながら歩く。
景色が一向に変わらないので、もうどれくらい歩いているのかわからない。
だけど不思議と疲れは感じなかった。
「寒くないか」
ふと、前を歩くシアが口を開く。
一瞬何のことだがわからず何も返せないでいるあたしに、シアが首だけで振り返り視線を向けた。
あたしに訊いたらしい。
「えっと、あたし?」
「お前以外に誰がいる。服、濡れたままだろう」
「あ、ホントだ…でも、大丈夫、そんなに寒くないよ」
「娘、言葉遣いには気をつけなさい。この方は」
「良い、リシュカ。それより乾かしてやれ、おれはもう殆ど魔力が残ってない」
「…このような娘に気遣いなど無用なのでは」
「おれが気になる。それにリズに会わせるにしても、その格好は失礼だろう」
「…承知しました」
あたしの後ろを見張るように歩いていたリシュカと呼ばれた人が、渋々ながらあたしの隣りへと歩みを進める。
相変わらずのフードから見下ろすその顔は見えずとも、疑心と不審の目がその奥で光る。敵意すら垣間見える。
それから長い袖から出てきた細い指が、あたしのすぐ顔の前でパチン!と軽快に鳴った。
「…っ」
目の前で星が舞う。光と共に。
眩む視界が通常の色を取り戻したそこに、苦笑いを浮かべるシアが居た。
「意地悪なやつめ」
「何を仰っているのか分かりかねます」
いつの間にかリシュカさんはまたあたしの背後でわたしを見下ろし、濡れていた制服はおろしたてのように綺麗に渇いていた。
「ありがとう、ございます…」
一応お礼を言ってみる。案の定返事は返ってこなかったけれど。
便利だな、魔法。こうやって体験するまで魔法なんて存在を認識できなかったけれど、本当に全く違う世界なんだ。違う仕組みが、働いてるんだ。
ここはあたしが居た世界とは別の世界で、この人たちは違う世界の人たちなんだ。
「マオの世界に、魔法はないのか?」
前を向いたままのシアに訊かれ、もしや心の中を覗かれたのかとどきりとする。
魔法が使えるなら何でもできてしまいまそうだ。でもきっとこうゆうのは、気にしていたらキリがないから。
「うん、初めて。見るのも体験するのも」
「そうか。それは良いな」
意味がわからない。
「…無いほうが、良いの?」
「少なくともおれはそう思う」
「…ジェイド様」
「さて、そろそろだ。はやく済ませておれは寝るぞ」
掻き消すように声をあげるシアの前に、大きな扉が現れる。
気が付かなかった、こんな見上げるほどの大きな扉。
青い石がところどころにはめられた、装飾の鮮やかな大きな扉だ。
「今からお会いする方は、長くシェルスフィアを影ながら支え導きを与えてくださった、助言者の方です。くれぐれも無礼の無いように」
後ろから威圧ある声で釘を刺され、とりあえずこくりと頷く。
シアみたいにため口なんてきいたら本当に刺されるか斬られるかしそうだ。今度こそ。
「まぁ、長く生きこの国を支えてきたおおばばだ。王族の権威はなくともリズの言葉は重い。だがその分いろいろなことを知っているからな、もしかしたらお前を元の世界に帰す方法も、知っているかもしれん」
「…っ、ほんと!?」
思わずあげた声に、シアは笑う。
それから目の前に向き直り、重たそうな扉に手をかざした。その右手の親指に大きな石がきらりと光る。
「お前が生きて帰るもここで死ぬも、ある意味彼女次第だな」
さっきと言っていたことが違う。思ったけど口には出さないでおく。
それから重たい音をたてながらゆっくりと開く扉の奥へと足を進めた。
今から会うその人が、後ろに居る人みたいな無慈悲な人でないことを祈りながら。