―――――――…


「旧校舎? 夏休みには取り壊されるんだよね、老朽化がひどいからって」
「そう、だけど学長の意向で、長年お世話になった校舎だし、取り壊し前に綺麗にしようってことになったんだって」
「へぇ、そうなんだ…あたしこっち来るの、はじめて」
「普段は立ち入り禁止だからね。前からいろいろ噂あるし」
「噂?」
「オバケ見たとか、人が消えるとか。何年か前に神隠しにあった生徒もいるって、先輩言ってた」
「へぇ…」
「古い学校だからね。七不思議みたいなものだよ」

 話しながら、慣れたように歩く七瀬の後ろをついて歩く。
 普段授業を受けている新しい校舎の裏山に旧校舎はあって、裏門から出て舗装された古い山道を5分ほど歩いて辿り着く。
 今は使われていない古い校舎で、殆どの生徒が滅多に立ち入らない。

「未波がさ、先月また3回以上遅刻してたでしょ。それで罰として旧校舎プールの掃除くらったんだ。あんまり泣きつくから、凪沙と俺も手伝ってやってたんだ」
「そうだったんだ、知らなかった。プール掃除かぁ、それはキツそうだね」

 笑いながら話す視界に、くたびれたフェンスが浮かび、次第に古びた校舎が姿を晒す。
 確かに、古い。そして人気の無い古い建物というだけで不気味に映った。
 鬱蒼と茂る草木は一部だけが刈り取られ、道になっていた。フェンスの向こうはすぐに目当てのプールで、想像よりは手が入ってる。
もっと悲惨な状況を想像していた。

「意外と綺麗だね」
「今月入ってからずっとやってたからね。もうすぐ夏休みだし、流石にラストスパート」

 苦笑い気味に七瀬が笑った。
 隅に寄せられていたベンチに荷物を置いて、裸足になる。
 夏の日差しに素肌が焼けて、だけどどこか心地よかった。

「未波達もあとから来るの?」
「ううん、今日は俺が引き受けたから、あいつらは来ないよ」
「…ふたり?」
「うん、たまには、いいかと思って」

 言いながら七瀬がズボンの裾をまくる。
 あたしは特に何も返さず、心の中でそうだねと頷いた。

 校舎の喧騒はここまで届かない。木々のざわめきに蝉の声だけ。
 それからちゃぷんと水音が撥ねた。
 惹かれるように向けた視線の先のプールを覗き込むと、思った以上に透明な水がプールの半分ほど張られていた。

「…水、張ってあるんだ」
「ああ、うん、試し、というか…これだけ大きな容れ物あるとさ、満たしたくなるよね」

 そう言った七瀬がどこか子供っぽくて、おかしくて思わず笑う。
 そんなあたしを見る七瀬の目が細くなって。
 少しだけ重なった視線を先に逸らしたのは七瀬だった。

「掃除用具、取ってくる。落ちないよう気をつけてね」

 くるりと背を向けた七瀬の背中を見つめたまま、反射的に自分の胸元のソレを確かめる。
 お守り、ずっと肌身離さず付けている。それをぎゅう、と強く握り締める。
 なぜだろう胸が、ドキドキした。自分の鼓動以外の音が遠ざかって。
 ああでもどうして。水の音がやけに耳につく。

――― ろ

「……え」

 あれ、声が。

――― 約束を… 

「…七瀬…?」

 ちがう。七瀬はシャワー室の方に、行ったまま。姿も見えない。声も聞こえない。

 木々のざわめきに
 蝉の鳴き声に
 打ち付ける水音に
 微かに混じって、だけど混ざらず聴こえる、その声は

――― 応えろ、おれが。おれがお前を、求めてやる ―――


 胸のずっとずっと奥。哀しい色の音がした。



 次の瞬間視界に映ったのは空。
 夏の高い空。
 少し千切れた青い雲。

 落ちる、それだけを不思議と理解した。
 強く強くあたしの体をひく、声。
 ゆらゆら、揺れる波間、水音。


「―――…お待たせ、真魚…」


―――ちゃぷん。


「………真魚…?」








木々のざわめき、蝉の声。