「あ、あれは…マストに居るのは、あたしの使い魔みたいなものなの。たいしたことはできないんだけど、ちょっとした防護魔法代わりにはなってると思う」

 それはシアと打ち合わせた内容だった。
 昨日眠る前に、シアはなるべくあたしの立場や状況が悪くならないよう、知恵を貸してくれたのだ。

「なんだと、そういうことができるなら先に言え、俺に」
「ごめん、その、上手くできてるかも自信なかったから…」

 不機嫌を隠さず言うレイズに、平謝りする。
 だけどレイズは眉間の皺を更に深めて隣りのあたしへとその顔を近づけた。
 あたしは思わず一歩後ずさる。

「この船のことでこの俺が知らないことがあっていいわけねぇ。いいか、何をするにしても、隠すな。報告だけは必ずしろ」
「わ、わかった…ごめん…」

 流石にその剣幕に、今度はあたしも素直に謝る。
 それからレイズは漸く少しだけ表情を崩した。

「まぁ、おまえが思ったよりは使えそうで安心した。俺にもおまえを船に置く判断をしたメンツってもんがあるからな」

 そう言うレイズは少しだけ笑みを見せた。
 笑うと少し目じりが下がって、たれ目になる。
 わりと不機嫌顔が多いレイズだけど、それは今思えばあたしに対してが多い。
 他の船員と話す時のレイズは、勝気な笑みを浮かべていることの方が多かった。特にジャスパーに対する態度や表情は、本当の弟のように可愛がっているのが傍で見ていて分かるほどだ。

 ジャスパーはこの船で一番の年下だし他の船員達と年が離れているせいもあってか、等しくみんなの弟分であり、愛されている。それがここ数日でよく分かった。
 あたしにももとの世界に、妹と弟が居る。血のつながらない妹弟。だけどあんな風に接するのも笑いかけるのも、あたしにはきっとムリだ。

「港に着くまでは警戒を怠るな。マオ、おまえには少しは期待している」

 レイズにそう言われ、首だけで頷く。
 実際あたし自身がしたことは何もないので、気まずい思いの方が勝っていた。
 ウソをついている負い目もある。
 だけど、しょうがない。明日までの付合いだ。
 それまで無事に航海が終わること、何もないことを祈るぐらししかあたしにはできないのだ。

「でも式典には間に合いそうで良かったですね」

 定常報告を終えそれぞれのメンバーがぞろぞろと部屋を後にしていく中で、レイズの指示でレピドとルチル、それからあたしだけはまだその場に残っていた。
 レピドが書類を手で整えながら、レイズに話しかける。
 レイズも壁に背を預けながらそれに答えた。

「まぁそれでもギリギリだけどな」
「現状の国内の不安定さには誰もが困惑を隠せません。我々船乗り達にとっても、国王陛下の判断がどう出るのかは今一番の懸念事項です」

 話の内容はこの国のこと、それから国王のこと…つまり、シアのことだ。
 この国に起きている出来事の一部を、あたしはシアから聞いている。

 船に居て現状の国内情勢についての不安や不満の声はいくつも聞いた。
 海の加護が消えたことで、海が不安定で危険な場所になっている。
 王族たちの急逝は城内での流行病とされているらしい。
 それでもシアが最後の王族だとは、皆知らない。夢にも思っていないだろう。

「戴冠から約2年、現国王は公には顔を出してねぇからな。国王急逝を知らされたのだって随分時間が経ってからだったし…この国で何かが起きてるのは間違いねぇんだ。こそこそと隠すのが気にくわねぇ」
「どの港でも悪い噂ばかりですからね。ジョナス殿下を見たという噂まで出ています」

 海の神々の加護の柱は、国民にとっても船乗り達にとっても大きな存在だった。
 海を挟んだ隣国との戦争の懸念も、囁かれている。
 それでも国からの対応や公式な発表は未だ無いのだという。

 この国は今、とても不安定だ。
 あたしに口出せることはひとつもない。
 だけどひとつだけ気になる名前が出てきた。

「ジョナス殿下…?」
「そうか、おまえこの国の事ほとんと知らないんだったな」

 思わず零れたあたしの疑問に、隣りに居たレイズが答える。
 レイズの言葉にレピドもルチルも驚いた顔であたしの顔を見てきた。
 それにあたしは気まずさから苦笑いを漏らす。

「マオ、そうなんですか?」
「とんでもない田舎者なんだよ、こいつ」

 また小馬鹿にしたように言うレイズの物言いには少しムカついたけど、何も言わないでおいた。

「社会勉強だな、教えてやる。約2年前の前国王急逝時、当時のジェイド殿下はまだわずかばかり戴冠の資格をもたなかった。王位継承に次いで名前が挙がったのが、ジェイド殿下の義兄、シェルスフィア・シ・エル・ジョナス殿下だ。当時ジョナス殿下はすでに17という年で戴冠の資格は十分に満たしていた。だがジェイド殿下は王妃の嫡男で、ジョナス殿下は側室の子だ。身分も王室の中では相当下の方だったと聞く。本来なら王位を継ぐ可能性は低かった。ジェイド殿下が15を迎えていれば何の問題も無かったが、王族が戴冠資格を無視するわけにもいかない。国王の座には国民が皆注目していた。しかしある日突然、ジョナス殿下が国から追放された。俺たちに真実は分からねぇが、名目は臣下暗殺を企てたとされている。まぁどうせ覇権争いに巻き込まれたんだろうな。気の優しい人柄だっただけにいいように使われたんだろう。王位も名も城も、国さえも追われた殿下が今どこで何をしているかは分からない。確かなのはもう、この国には居ないということだ」
「--…!」

 王位の争いに、義理のお兄さんの国外追放。
 そんな話はシアから聞いていなかっただけに、ショックだった。
 でも考えてみれば、シアがすべてをあたしに話す必要など、どこにもないのだ。
 あたしにだって話したくないことがあるように、シアだって口にしたくないことはある。
 こんな複雑で重要な内容だったら、なおさら。

「…その、式典っていうのは…?」
「ちょうど明日、現国王の生誕式典が行われる。王国公式の式典は2年前の戴冠以来だ。現状を踏まえて、国の采配が問われるだろう。時期が時期なだけに、重大な発表もあると皆噂している」
「重大な発表って?」
「さぁな、俺たちが知るかよ。まぁ一番濃厚なのは、隣国アズールフェルに関わることだろう。第一王女との婚約の話は前から出ていたしな。陛下も明日でようやく17歳だ、婚姻の資格を得る。婚約発表じゃなかったとしたら、戦争開示だ。第一王女との婚約を断ったとしたら間違いなくアズールはシェルスフィアに戦争を仕掛けてくる。以前からアズールとの関係は最悪だったし、婚約自体がアズール側の最後の譲歩だったんだろう。国王の婚約か、戦争か。そのどっちかだと俺たちは踏んでる」

「――――17?」