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 ようやく帰り着いた自宅で、ベッドの脇に荷物を放って小さく息をつく。
 やっと、ひとり。
 少し慣れたひとりの部屋で、深く胸を撫で下ろす。

 そのままベッドに深く体を沈めてしまいたい衝動をなんとか堪え、まだ半乾きの制服に手をかける。
 シャワーを浴びて、制服も洗ってアイロンかけなければ。明日も学校だ。

 ああ、なんだかすごく、面倒くさいな。
 まとまりのない意識が、すぐ鼻先でぐるぐるまわっていた。

 今日はひどく疲れた。
 いろんなことが、たくさんあって…七瀬と一緒に、プール掃除をしていて、プールに落っこちて。
 それから七瀬に告白されて
 ……それから?

「…それだけ、だっけ…」

 ふと向けたベッドの上で、一緒に投げ出した携帯電話のランプが点滅していた。
 電話か、メールか。
 たぶん、きっと、七瀬だ。

「………」

 家に着いたらメールして、って言われていた。
 これ以上余計な心配をかけてはいけないことも、頭ではわかっていた。
 だけど、たったそれだけのことなのに、ひどく億劫だった。

 携帯電話を数秒見据えてから、止まっていた手を再開する。
 イイワケは後で考えよう。
 今は先にシャワーを浴びたい。
 とにかく今すぐ、洗い流したいんだ。

「……あれ…」

 ふと、日々の条件反射のように自分の顕わになった胸元に手をやる。
 それからさーっと血の気がひくのを感じた。
 体の芯から一気に熱が冷めていく。

「…うそ…」

 お守りが。チェーンに通していつも首から下げていた。ずっと、ずっと肌身離さず身に付けていた、お守りが――

「ない……!」


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 記憶の中に残るお母さんは、少し変わった人だった。
 といっても5歳児の記憶なんて割とおぼろげでいい加減だ。
 それでもその記憶に残る雰囲気だけは、ずっと感じていたものだけは揺るぎないものに思える。

 どことなく、浮世離れしているというか…いつも海を見ていた気がする。
 海のずっとずっと、向こうを。
 海の見える病室の、窓際にじっと腰掛けながら。

 何を見てるの、って訊いても、お母さんは笑うだけ。
 霞む記憶の中で、お母さんはいつも。
 優しく静かに、笑うだけ。

 今いうならば、心ここにあらず。
 その横顔は幸せそうで、だけどどこか寂しそうで。
 そうお母さんはまるで、海に恋してるみたいだった。


 あの日はあたしの、誕生日で…お母さんは電話の向こうで少し意地悪く笑って、あたしに言ったんだ。

『お父さんに頼んで、宝物を隠したの。見つけて、真魚。明日、答え合わせしよう』

 あたしはすぐに、お母さんがいつも首からさげていたあの青い石のことだってわかった。
 だっていつもどんなにねだっても、触らせてくれなくて。
 お母さんの宝物だって言ってたから、余計にあたしも欲しくて仕方なかったのだ。

 あたしは必死に家中の宝探しをした。
 だけどそれはなかなか出てこなかった。
 その日は雨が降っていて、家の中がとても暗かったことだけやけによく覚えてる。

 そしてお母さんの隠した“宝物”が、あたしの欲しかった青い石ではなかったことを知ったのは、冷たくなったお母さんの首元に、まだそれがあったのを見た時だった。

 宝探しはもうやめた。
 だってどんなにがんばったって、もう。
 答え合わせはできないんだから。
 本当に欲しかったものはもう。
 手に入らないのだから。