「…真魚! 起きたか。体調は? 朝ごはん食べたら病院行くぞ」

 シャワーを浴びていたらしいお父さんがリビングに入ってきて、あたしに気付いて顔を覗き込んできた。
 行きたくないのが本音だけれど、それじゃお父さんは納得しないだろう。

「…わかった…」

 渋々返事をするあたしにお父さんはほっと安堵の息を漏らし、微笑んであたしの頭をくしゃりと撫でてからダイニングのテーブルにつく。
 それを見計らってお義母さんが、淹れたてのコーヒーをお父さんの前に置いた。
 お父さんはお礼を言って手を伸ばす。

 それはとても自然な流れだった。
 いつもの朝の光景なのだと、無意識に理解した。
 だけど覚悟していたよりずっと、想像していたよりもぜんぜん。
 胸は痛まなかった。
 自分でもびっくりするくらいに自然とそれを受け容れることができた。

 それからシャワーを浴びる為にいったん部屋に戻ると言ってリビングを後にする。
 湊と海里はまだ寝ていた。

 いつもの朝の光景に、きっと受け容れられたのはあたしの方。
 勝手に家を出て、あたしが目を逸らして逃げていただけで、きっとそれぞれがそれぞれなりに、努力して作り上げたこの今という空間に。
 あたしの居場所を当たり前のように用意してくれていた。
 ここまで来てようやく気付けた。

 何も変わらないように見えて、きちんと手入れされていたあたしの部屋も
 ダイニングテーブルの椅子の数はきちんと変わらずあたしの分もあることも
 カバンひとつ持たないあたしが突然帰ってきても、すぐにお風呂に入れることも眠れることもごはんを食べれることも。
 ぜんぶぜんぶ。
 あたし以外のひとが、用意してくれたものだ。

 じゃあ、あたしは。
 何ができるのだろう。
 この場所で。

 熱いお湯を全身に浴びながら、ふと自分の脇腹に手をやる。
 傷はまだここにある。
 だけど痛みは驚くほど和らいでいた。

 どうしてだろう。
 相変わらず見た目は良くないけれど、肌の色は随分見やすくなった気がする。
 それから自分の胸元に光る石。
 久しぶりに見る、お母さんのお守り。

 思えばいあの世界でこの石に手を伸ばすことは殆どなくなっていた。
 目まぐるしく変わる状況に、すっかり自分の中から抜け落ちていたその存在。
 あの世界でこのお守りは、いつの間にか必要なくなっていたのだ。

 だとしたら、もう。
 このお守りはあたしにとってもう。

 
 お風呂から出て髪を乾かし、服を着替えてリビング扉のガラス窓からこっそり中を覗く。
 お父さんはテーブルで新聞を広げていて、ようやく起きたのか湊と海里はソファに寝そべって朝ごはんを待っていた。
 朝ごはんというより、お風呂から出るあたしを、だろう。
 時間はまだはやい時間。
 ふたりともまだどこか眠そうだった。
 気まずさも相まって、扉の取っ手にかけていた手が動かずに戸惑っていた、その時。
 背後でお風呂場からちょうど出てきたお義母さんと目が合って、あたしより先に、にこりと笑ってくれた。

「制服、家出る前には乾くと思うから待っててね」
「…ありがとう、ございます」

 随分と汚れていた制服を、お義母さんが洗って乾燥機にかけてくれているらしい。

 今日も学校はある。
 1学期最後の日、終業式。
 朝一で病院に行って、間に合うようならそのまま学校に行くということになっていた。

「それから、これ…」

 ちらりと、お義母さんが扉越しにリビングのお父さんの方を見やり、その手に持っていたものをあたしに差し出す。
 それを見て、確認して。
 ぎゅうっと、心臓が締め付けられる。

 見事な装飾の光る短剣。
 ちがう世界で改めて見ても、例えばオモチャとかレプリカなんかではなく、本物だと分かる。
 控えめでいても所々にはめ込まれた宝石の散りばめられた光が、本物の異彩を放っていた。その中でも一際輝く青い貴石。どこかシアの瞳と似た。

 シアの短剣。
 ――お守り。
 あの世界でずっと、あたしを守ってくれていた。