夕焼けの中、アクアマリー号が港を出発する。
 本来ならこの時間の出航は殆どない。
 直(じき)にあたりは暗くなり、すぐに停泊になるからだ。
 今回は航路へ出る為の船出ではない。
 水葬の為の船出。

 弔いの海域へは三十分もせずに到着するらしい。
 未だかつてないくらいの人数とジャスパーの遺体を乗せた船が、沈む夕日を背に海を進む。
 あたりが薄暗くなってからはクオンが魔法でいくつもの灯りを前方へ浮かべ、海の道を照らしてくれた。

 目的地の海域へ到達し、レイズとレピドが場所を見定めながら錨をおろした。
 船の前方には大きな渦が、ぽっかりと口を開けて待ち構えていた。

 船の甲板に、人ひとり分ほどの小さな小舟が置かれ、その中にまず貴石が敷かれた。
 ジャスパーと同じ名前の貴石。港でレピドがあるだけのそれを買い占めていた。
 それから痛くないように、布を敷き詰めて平らにし、そこにジャスパーの寝床を作る。
 
 ジャスパーの元へは多くの人たちがその顔を見に、そして最後の思い出を語りに押しかけていて、遺体を寝かせていた部屋はギリギリまで人でぎゅうぎゅうだった。
 絶え間なく多くの人が、ジャスパーとの別れを嘆き悲しみ惜しんでいた。

 それから甲板で待つ人の群れをかき分けながら、レイズがその身体を抱きかかえて現れたとき。誰も何も言わずにその時を迎え入れた。
 それぞれが頭に巻いていた布や帽子を外し敬意を示す。それから身に付けていた装飾品を、おもむろにひとつ、自分の身から取り外した。

 レイズがジャスパーを小舟の真ん中にそっと横たえる。
 ジャスパーの両手を胸元であわせ、幾度も位置を確かめて、最後にその頭をくしゃりと撫でた。
 柔らかな笑みを浮かべながら、いつものように。
 それからレイズが自分の右手の親指にはめられた指輪を外し、あわせたジャスパーの手の指に、同じようにそれをはめた。

「――これからはじまる長い旅路の、無事を心から祈っている。ジャスパー。いつか必ず…また会おう」

 言って、ぎゅっと。その手を握る。
 永遠のようで一瞬の、別れの瞬間(とき)。

 それからレイズは誰とも目を合わせずにその場から立ち去る。
 レイズを皮切りに、周りを囲っていた船員達が順に言葉をかけ別れを述べながら、それぞれ自らの装飾品をジャスパーの体の傍へと置いていく。

 さよなら、ジャスパーのごはん美味しかったよ、本当の弟みたいに思ってた、なんでこんな良い子が…、おまえ勇敢だったんだってな、おれ達の誇りだ、ジャスパー
 いやだジャスパー、信じられない…、ジャスパー、気をつけてね、ジャスパー。ありがとう。またね。大好きだよ、ジャスパー。……さよなら。
 …いかないで。

 次々と贈られる涙とお守り。
 煌めく装飾品と思い出の品、これからジャスパーが向かう海の、神さまに捧げる供物代わりのお酒と食べ物、それから手向けの花。
 小さな小舟の隙間はあっという間にいっぱいになった。
 それはきっと、ジャスパーが生涯で他人に与えたもののお返しが、こうして形になったものだ。
 そして今度はそれが、これから往く旅路のなか、ジャスパーをきっと守ってくれる。

 最後にあたしが、ジャスパーの腹部のあたりに一輪の花を贈った。
 それから用意していた貴石を、ジャスパーの為だけにつくったお守りを、ジャスパーの口に含ませる。
 この世界での別れの儀式の作法を知らないあたしに、イリヤとレイズが教えてくれた。
 最も効力のある貴石は、体内に宿す方が良いのだという。
 最後まで肌身離さぬよう。

 それから自分の右手の親指の指先の皮を噛み切って、零れた血でジャスパーの手の甲に模様を描く。
 あたしという未熟な神の加護として、刺青としてみんなの体にも描いたそれ。
 大事な人の、マーク。

 ジャスパーに描けなかったことを、ずっと後悔していた。
 ようやく、描いてあげれた。
 まだこんなにも弱いけれど。今のあたしにできるかぎりの加護を。

 これから行く海の底は、暗くて寒くて寂しくて、長い旅になるかもしれない。
 だけどこの模様は、きっとあなたの傍であなたに寄り添う。
 そして今度こそきっと、護ってくれる。
 一緒に連れていってあげて。
 あたしの心の一部。