「……ドーレだと? アンタ、ドーレ男爵の息子か」
このあたりはかつてのドーレ男爵領だ。彼がその名を知っていてもおかしくはない。
「はい。今はその家名はありませんが」
「冗談じゃない、貴族のお坊ちゃんにローザを渡せるか! うちは花農園だ。農園を継ぐ男にしか娘はやれん」
その言い方に、ディルクは彼がローゼの出自を知っているのだろうと感じた。ことさら貴族を目の敵にしている感じがする。
「違うの、パパ、あのね?」
「いいんだ、ローゼ。……あなたが貴族が虫が好かないというのはわかります。私の今の立場は貴族とはいいがたいですが、農園を継げるかと言ったら継げません。突然やって来て気に入らないのも当然です。……ですが、私はローゼを失うわけにはいかないんです。許してくださるまで、お願いするだけです」
「貴族なんざ、愛人を作ったり子供を捨てたり。……ろくでもないやつばっかりだ。俺のローゼを、そんな奴にやれるかっ」
「あなたっ」
「パパ」
ブレーメン氏は短絡的な性格らしい。怒りのぶつけどころを探すように拳を振りかざした。
動体視力の良いディルクにはその動きが見えていて、よけようと思えば多分避けれた。
けれど、これは洗礼なのだと受け止めることにした。
頬に加わる重い衝撃とともに、鈍い音がする。
痛みは、数秒遅れてからじわじわと湧いてきて、口の中に鉄の匂いが広がる。
ローゼは小さな悲鳴を上げて、すぐに父親の腕に抱き付いて止めた。



