「ところで、俺の記憶って消されるわけ?」
残りひとつの気になっていたことを訪ねる。言っていたのは雲母だけれど、こいつに聞いても答えは同じだろう。

消される理由は、やっぱり知ってはいけないことを知ったから、とかなんだろうか。誰にも喋る気はないけれど。言ったところで昔の俺と一緒で信じるやつはいないだろう。

三日月紫苑は表情をなんとか戻し、息を吐いた。それから暫し黙って、階段の下を見る。

「……別に、いい」
出てきた答えは、ぶっきらぼうだった。

「どうせ、誰にも言わない、お前は」
「おお、なんかそんな風に君に言われるのは新鮮だ」
「うるさい。それよりも百乃の家族から大量のお礼の品とやらが届いて雲母が悲鳴を上げていた。お前も手伝え」

三日月紫苑は怒ったように頬を染め、それだけ言って大階段を下り始めた。それがついてこいと言っていることに気づくのに数秒かかってしまった。

思わず笑う。

「まさかこんな日が来るとは思わなかったな」
その背中に追いつき、素直な気持ちを言う。こんな日もなにも、入学してからまだ半月も経ってないのだけれど。

大学に入って一番最初にできた友人は、一番友人になれなさそうだと思ってた奴だった。

「気持ち悪い。あと、君とか言うな、紫苑でいい」

もっとも、そんなものいらないと言っていたほうは、どう思っているか知らないけれど。

「はいはい、紫苑」
「気持ち悪い」

これも縁ならば、またどこかの妖と関わることもできるかもしれない。そんな気がする。

そのときは、紫苑と共に仕事ができるだろうか。

ふと梅の香りがした。立ち止まってあたりを見回すが、なにもない。

その代わり、桜の花びらが、風に乗ってひらひらとやってきた。

「置いていくぞ、椿」
 先に大階段を下りきった紫苑が言う。

「はいはい、今行くよ」

麗らかな春の日差しが、彼を包んでいた。


【咲う狐に春の戸開く 了】