「そういえば、梨々花、少し前に私の今までの恋愛話を勝手にしたでしょ。もう、やめてよ」
「え? なんのこと?」

梨々花は上着に袖を通しながら、きょとんとして返す。
とぼけているようにも思えなかった鈴音は、窺うように続けた。

「柳多さんっていう、落ち着いた雰囲気で物腰の柔らかい男の人が、梨々花から話を聞いたんだと思うんだけど」
「やなぎだ? え、誰だろう」

顎に手を添え、「うーん」と唸るように考え、数秒後、弾かれたように顔を上げた。

「あっ、もしかして……飲み屋で隣になった人かな。三十代くらいの。なんか酔っててそこにいる人たちと盛り上がっちゃって……ごめん」

だんだんと小さくなる語尾に、鈴音はため息で返す。

「盛り上がって、人の話するとか……まぁもういいけど」
「少し世間話とかして、変な人じゃなかったから、つい。でも、私、鈴音の名前とかそういうことは言ってないよ。あくまで、『知り合いが』って濁して話した」

梨々花の言い訳に呆れた目を向けつつも、柳多を思い出して『確かに勘も良さそうだったな』と納得する。
黙った鈴音に梨々花は心から反省し、懇願するように謝罪した。

「鈴音、ごめんね。もしかして、それが原因? だとしたら、私」
「いや、違うよ。それが原因ってことではないし」
「でも」
「あー、じゃあ、今度なんかで返して。それでいい」

鈴音は、梨々花の気持ちを汲んで、敢えていつか返してもらうお詫びを約束させた。

梨々花は涙目になって鈴音に抱きつく。
責める気持ちなど元々なかった鈴音は、ポンポンと背中を叩いて受け止めた。

そのとき、ロッカーに置きっ放しの携帯が音を鳴らす。鈴音は自分の携帯だとわかると、ゆっくり梨々花から離れ、携帯を手に取った。
新着メールを開き、ドキッとする。

「鈴音……?」
「あ、ごめん。もう時間だ。先行くね」

梨々花を置いて更衣室を後にすると、エレベーターまでの道のりでメールを見る。

それは忍からで、内容は【今夜、何時に終わる?】というもの。

(これじゃ、まるでただの恋人みたいだ)

メールだけを見ればそう感じてしまう。
けれど、これは義務であって、ある種、仕事のようなものだ。

【八時には出られると思います】

一文だけ返し、携帯をカバンにしまってエレベーターに乗り込んだ。