「なにか、お探しでしょうか」
「今夜、予定ありますか?」
「え?」
「食事でもどう?」

言葉を失う。まさか、勤務中の人間を相手に、堂々とナンパを始めたからだ。
鈴音は眉を顰め、あからさまに不審な顔をした。

目の前にいる男は、中肉中背、顔立ちも普通でこれといって特徴のないタイプ。もしかしたら、何度か接客をしたことのある相手かとも思ったが、まったく印象に残っていない。

そもそも、やはり一度も関わったことがないのでは、とすら思った。

「あ、いえ……。そういうのは、ちょっと」

本心では今すぐ逃げ出したいが、仕事中でそうもいかない。よりにもよって、ちょうど売り場にひとりきり。
仕方なくやんわり言葉を濁すと、男はなにか閃いたという表情をした。

「あ。そうか。今、仕事中だもんね。じゃあ、終わるころ、外で待ってるから」
「は……?」

信じられない発言に、とうとう自分が店員という立場を忘れ、口をぽかんと開ける。

(『待ってる』って、冗談でしょ?)

悪寒が走る。まったく見ず知らずの男が、突然強引に自分を誘う状況に声も出せなくなった。
黙り込んだ鈴音に、男はニヤリと決して爽やかとは言い難い笑みを浮かべた。

「鈴音(すずね)ちゃん、今日は〝ジブリール〟の口紅だ。それ、おれ、好きだよ」

咄嗟に口元を片手で覆う。

(ネームプレートは苗字なのに、なんで下の名前を知っているの? それに、使っている化粧品のメーカーまでわかっているなんて……!)

恐怖におののいて凍り付いている間に、男はその場からいなくなってしまった。