「籍を入れてからのもどかしい気持ちや、本当は婚姻関係ではなかったと知ったときの動揺は初めてのことだった」

話しながら、一度広げた婚姻届は再び折りたたまれる。
鈴音は、もうただの紙切れだと思っているのだろうと感じ、切なくなった。

しかし、そこでようやく気づいた。

「動転するばかりで自覚が遅くなったが、答えは自分の行動にもう現れていたんだな」

――忍の左手には、未だにマリッジリングがはめられていることに。

目を剥き、忍の顔を見る。次の瞬間、薄いブルーの紙が鈴音の視界に入る。

「こんな些細なものを今まで捨てられなかった。その理由は、今ならわかる」

忍が右手で持っているものは、これまで鈴音が忍に宛てたメモだ。
手の中には何枚あるだろうか。それどころか、どんな内容を残していたかすら全部は覚えていない。

(大した内容ではないことしか書き綴っていない。それなのに、まさか捨てずに残しているだなんて)

今までのメモは、捨てていると思っていた。だから意外で放心してしまう。

「どうにか数時間抜けれるよう仕事を調整して、いるかもわからない伊豆まで車を飛ばし、夕方にはまた会社に戻らなければならない……そんな無謀な行動をしている理由も」

忍は確実なことを選んで生きてきたつもりだ。
勘や運なんて言葉は信用せず、根拠や保証を一番に考え、動くのが常だった。

しかし、今、この場にいるのは決して裏付けられた確証があったわけでもなく、ある種の賭け。
わかっていても、黙っていられなくて車に乗り込んでいた。

それが無駄な行動なんてことを一切考えることもせず。

「鈴音」
「……はい」

忍の若干緊張した凛々しい声に、鈴音は背筋を伸ばす。