「ね、かおりは、いつから?」

「ずっと前だよ。両手じゃ足りないくらいずっと前」


好きになったきっかけは簡単で単純だった。


名前を呼んでくれた。丁寧に話してくれた。笑顔が優しかった。

それから。私が、それまで自分では気づいていなかった、幸せなときのくせを教えてくれた。


『かおりちゃん、すごく幸せだなーってときって、絶対両手をぎゅってするよね』


あまりに幸せなとき、ああ幸せだなあとため息を吐いたら幸せが逃げてしまいそうで、全部をぎゅっと閉じ込めるみたいに両手を固く組んで握る。


祈りに似た仕草は、多分、無意識の気持ちの表出だった。


そういうくせがあると教えてもらったのは、まだ敬語になっていなかった、かおりちゃんと呼ばれていた、要さんを見つけては駆け寄って話をした幼い頃のこと。


幸せそうに食べるねと、笑って。だってとってもおいしいんだよと笑い返した私に言ったのだ。


『かおりちゃん、すごく幸せだなーってときって、絶対両手をぎゅってするよね』って。『あとついでに笑うときに目も閉じる』。

こういう顔するでしょう、とやって見せてくれたのは、目をぎゅっと閉じる笑い顔で。


両親でさえ指摘しなかったくせを教えてくれたのが、優しいお兄さんを追う目に小さな恋心が付随した瞬間だった気がする。


そしてその後、要さんが伏し目がちに笑うことに気づいて、ああ、と思ったのだ。


——おんなじだ。


幸せな時間を逃したくなくて、まぶたに焼きつけるみたいに目を閉じる、おんなじ笑い方。