要さんが馬鹿にして笑わないのは知っている。

大丈夫だよ、と穏やかに手を引いてくれるのも、知っている。

自分なりに頑張ったら、その結果がどうあれ、失敗しても何も言わずに流してくれるのも知っている。


「……こうしたらいいんだよって、笑って言ってほしい」

「うん。じゃあ、そういうときは、こうしてくれたら嬉しいって言うようにする」


細やかに言い直してくれるところが、ずっと好きだ。


「でも、俺もよく分からないことっていっぱいあるから、そのときは一緒に考えてね」

「うん」


おどけてくれるところが好きだ。


「さしあたって、お手を拝借しようかな。指輪、つけさせてくれたら嬉しい」


お願いした通り、笑ってくれるところが好きだ。


要さんが好きだ。要さんとなら、なんだって大丈夫だと思った。


自分が知っていることを相手が知らないように見えたとき、どうするか、というのは、人によって大きく変わる。


私が知らないって言った理由とか、教えてほしいか教えてほしくないかとか、教えるならどう教えるかとか、自分の知っていることはある程度相手も知っていて、そのうえでそれ以上を知らないという意味で知らないんだと言ったんじゃないか、とか。


要さんはどんなときでも、知らないなら教えてあげる、というような前提で話さない。押しつけもしない。


それが、どんなに難しくて配慮に満ちた態度なのか、身をもって知っている。


選んだ言葉も選ばなかった言葉も、言い換えてくれた言葉も、誰にどこで言うのかも、その人の鏡写しだ。


そのこちらを慮ってくれる優しさに、今まで泣きたいくらい救われてきたし、これからもきっとそうなんだろうなあと、思う。