「お母さん……」

薄暗い洗面所に、お母さんはいた。

こちらに背中を向けてうつむき、冷たい床にぺたりと座り込んでいる。よく見ると、肩がかすかに震えていた。

「お母さん、大丈夫?」

隣に腰を落として覗き込むと、お母さんの頬が涙に濡れていた。お母さんが泣いているのを見たのは初めてだった。

「……遥」

口紅のとれかけた震える唇から、かすれた声がもれる。それきり何も言わない。

「お父さんから、話聞いた。昔の自分みたいな思い、わたしたちにさせたくなかったって……」

「……そう。お父さんたら……子どもたちには言わないでって、頼んだのに、勝手に……」

お母さんがふうっと息を吐いてから、ゆっくりと口を開いた。

「そうよ。お母さんはね、人生に失敗したの。こういうふうに生きたいっていう理想があって、それを叶えたくて努力してたけど、だめだった。失敗した。自分ではちゃんと勉強してたつもりだったけど、全然足りなかったのよね。ものすごく悔しかったわ」

当時のことを思い出しているのか、お母さんはぼんやりと天井を見ながら話す。

「結局、やりたかったことは何ひとつできなかった。就職も全然希望通りにいかなかったしね。人生こんなはずじゃなかった、って何回も思ったわよ」

お母さんは完璧な人に見えていた。自分の仕事が大好きで、順風満帆な人生を歩んできて、自分に自信があって。

でも、それは、そう見えるようにお母さんが気を張ってきたからなのかもしれない。

そう考えると、わたしと似ているような気がした。心の中では何を思っていても、『何も問題ないよ』という顔をしてしまう自分。