――それから課長から言われた通り、月曜日まで岡田さんの家で静養した。
徐々にではあるけれど、怪我も良くなっているみたいだ。
まだ傷は塞がっているわけではないけれど。
母に連絡したら、ミスで怪我をしたことにえらく怒られたけど、命に別状がないことにホッと安心したのか、電話越しに泣かれてしまって、宥めるのに大変だった。
それで今岡田さんの家にお世話になってるって言ったら、後でお礼に伺わないと!なんて張り切ってしまって、それを宥めるのもこれまた大変だった。
岡田さんには寝ていろってしつこく言われたけど、こんなときに限ってじっとしていることが出来なくて、ちょこちょこ出来る範囲で掃除をしたり、ひとり近くの商店街に行ったり、公園に散歩に行ったりもした。
そんなときでも、ずっとこれからのことを考えながら過ごしていて。
ひとりの時間がたくさんあって、悩む時間はいっぱいあったのに。
それでも、結局答えが見つからないまま、月曜日を迎えた。
怪我をしてから、私の作業は部品の最終検品になった。
右手が使えないから、検品しか仕事がないのは仕方のないことだと思う。
元の作業に戻るのは、怪我が完全に治ったときにどこまで手が動くのか、それを判断してから戻るということになった。
その日は早めに工場へ出社し、色んな人を回って、ひとりひとりに謝る。
厳しい言葉を掛けられるのを覚悟していたけれど、実際は全くそんなことはなく、むしろみんな気を遣って優しい言葉を掛けてくれて、それが余計に心を苦しくさせた。
謝罪行脚を済ませたあと、しん、とした小さな部屋の中で、ひとりひたすら検品を続ける。
右手が使えないから、左手で部品を目の前でくるくると回しながら確認していく。
今までやっていた仕事に比べたら、なんとも物足りない仕事だけど、この手では研磨の仕事は出来ない。
むしろ片手だけでも出来る仕事があるだけ、ありがたいと思わなければいけない。
徐々にではあるけれど、怪我も良くなっているみたいだ。
まだ傷は塞がっているわけではないけれど。
母に連絡したら、ミスで怪我をしたことにえらく怒られたけど、命に別状がないことにホッと安心したのか、電話越しに泣かれてしまって、宥めるのに大変だった。
それで今岡田さんの家にお世話になってるって言ったら、後でお礼に伺わないと!なんて張り切ってしまって、それを宥めるのもこれまた大変だった。
岡田さんには寝ていろってしつこく言われたけど、こんなときに限ってじっとしていることが出来なくて、ちょこちょこ出来る範囲で掃除をしたり、ひとり近くの商店街に行ったり、公園に散歩に行ったりもした。
そんなときでも、ずっとこれからのことを考えながら過ごしていて。
ひとりの時間がたくさんあって、悩む時間はいっぱいあったのに。
それでも、結局答えが見つからないまま、月曜日を迎えた。
怪我をしてから、私の作業は部品の最終検品になった。
右手が使えないから、検品しか仕事がないのは仕方のないことだと思う。
元の作業に戻るのは、怪我が完全に治ったときにどこまで手が動くのか、それを判断してから戻るということになった。
その日は早めに工場へ出社し、色んな人を回って、ひとりひとりに謝る。
厳しい言葉を掛けられるのを覚悟していたけれど、実際は全くそんなことはなく、むしろみんな気を遣って優しい言葉を掛けてくれて、それが余計に心を苦しくさせた。
謝罪行脚を済ませたあと、しん、とした小さな部屋の中で、ひとりひたすら検品を続ける。
右手が使えないから、左手で部品を目の前でくるくると回しながら確認していく。
今までやっていた仕事に比べたら、なんとも物足りない仕事だけど、この手では研磨の仕事は出来ない。
むしろ片手だけでも出来る仕事があるだけ、ありがたいと思わなければいけない。

