世界が終わる音を聴いた


寝る支度を整えて机の上の日記帳をパラパラとめくる。
去年の春は、近くの公園へ家族で花見がてら散歩に行った、だとか。
夏の暑い日に会社のクーラーが効きすぎていて、風邪を引いたかも、だとか。
面白みのない、平凡な日常が綴られている。
事件もなにもなく、いつもの日々。
たぶん今日と然程変わりない、平凡で平和な日常。
そうだ、平凡な日常とはつまり、平和な日常なのだ。
私はその、平和な日常を生きている。
感情の起伏なんて、些細なことだ。
そう思って、改めて目的のページを開く。
ペンを取り、今日の日付の欄へと書こうとしたときに不意に目にした隣のページ。
真新しく、当たり前に私の文字で綴られている。

『根を詰めていた案件が終了。久々に早く帰宅。仮眠後、不可解な出来事。平和な日常に感謝』

それと共に、二重線で消されている“私の命の期限をあと1週間だと言う人”という一文。
そういえば、そんなこともあったかと思い出す。
つい昨日のことなのに、すっかり忘れていた。
昨日のあのときで“あと1週間”なら、それから時間が経って“あと6日”だ。
6日後、私の命は、尽きる。
あの人の言うことを信じるならば、だけど。
そう考えて、ふ、と乾いた笑いがこぼれた。
それが嘘であれ本当であれ、私にはあまり関係のないことのように感じる。
自分の命のことなのに、他人事のよう。
だけど実際、誰だってそうだろう。
病気をしてるわけでもなく至って健康そのものの私が、なんの根拠もなく、あと6日で死ぬらしい、と言ったところで誰が信じるものか。
そうだ、私が死ぬわけないじゃないか。
漠然とした自信が、私を支配する。
ただ一つの疑問は、彼が何者であるのか、ということだけ。
けれど、それを無視して私は今日の日記を書き付けた。

『いつもと同じ日常。立て込んでいた案件が昨日終了したので、とても平和な一日。帰り際に大石さんに週末、家に来ると言われる。平和な日常に感謝』