世界が終わる音を聴いた


うだつの上がらない日々だと、思わないこともない。
けれど、それを変えようとも思わない。
恙無く、平坦な、いつもの日常を。
それが穏やかで一番、楽だ。

「お疲れ様です。お先に失礼します」

まだ残っている数人の人に声をかけて退室する。
そうして、1日はいつもと同じように過ぎていく。
昼間の熱線のような太陽の余熱が地面から湧く。
カチャリ、と解錠すると駐輪場から自転車を引っ張り出した。

「芦原さん」

さあ帰ろう、と自転車に跨がったところで声をかけられた。
朝も聞いたその声に、そっとため息を吐いて、それを悟られないように振り返る。
声の主は相変わらず爽やかな笑顔だ。

「お疲れ様です、大石さん。もう上がりですか?」
「いや、もう少しかかりそうだからコレ買いにいってた」

ニコニコと屈託なく笑う大石さんは見た目の通りに人当たりもよくて、既婚者なのに女性社員からの支持率も高い。
いや、既婚者だからこそ、とも言えるのかもしれない。
奥さんをとても大切する姿と、かといって仕事を蔑ろにすることもなく、日々真面目に働く姿。
それは、刺激的な恋愛感情ではなく絶対的な安心感を与えてくれる。
愛妻家であるところを含めて、理想の旦那様、理想の夫婦なのだそうだ。

「ほどほどに、してあげてくださいね。菜々美さんも、この時期にひとりでは心細くもあるでしょうし」
「うん。分かってるよ、ありがとう」
「予定日、いつでしたっけ?」
「8月18日だよ。あれ?そう言えば千夜ちゃんももうすぐじゃなかった?」
「えぇ、そうですね。ところで、もう名前で呼ぶのは……」
「いいじゃない」

あえて誕生日にははっきりと返事を返さず、それよりも名前で呼ぶことについて言及した。
それはあっさりと、却下されてしまったけれど。