「ふいに名前で呼んであげるのがいいかもね」
「え?」
いきなり、なんの話?
「ミズサキセンパイじゃなく、昂弥先輩、って。でもこれは一度きりの必殺技だから、くれぐれも慎重にね」
とびきりの奥義を伝授するみたいに、佐久間先輩は得意げに笑い、人差し指で“ナイショ”のポーズをした。
そうして、南の空を遠く、高く見上げ、ふうっと息を吐く。
濃紺に染まった空と、その色を吸いとっている海とが、最果ての地で、境目がわからないほどに同化していた。
「もう少しかな」
「え……」
「花火。もう少しで上がるかなーと思って」
佐久間先輩はもういちどわたしを見下ろし、眉を下げると、おかしそうに笑った。
「でさ、佳月ちゃんはいま、のんきにおれと花火見てる場合じゃなくない?」
そう、まったくもって、その通りで。
「おれは昂弥に申し訳ないよ。こんなに綺麗な格好した佳月ちゃんのこと、ひとりじめしちゃってるなんてさ」
考えるよりも先に足が動いていた。
佐久間先輩に挨拶をすることも忘れ、襲いくる人ごみをかき分けて、どこにむかえばいいのかもわからないまま、ただ、ただ、走った。
自分はこんなにも感情的な人間だっただろうかと、頭のいちばん隅っこで一瞬だけ思う。
でも、そんなことをいまさら思ったところで、もはやどうしようもなかった。
ああ、着慣れない浴衣と、履き慣れない下駄が、最高にじれったいな。



