しかし長きに渡る占による政治の末に神殿が腐敗し、王宮の中枢の者や神殿の上位神官たちが私腹を肥やした結果、民の不信が膨張し、各地で反乱が起きるようになった。
これを他国の異文化や国内他民族の影響により民の信仰心が揺らいだからだと考えた、先代国王――アルザの父は、国を閉じ、通商を断ち、さらに国内の少数民族を弾圧し滅ぼした。
しかし三十年の鎖国は国力をみるみる低下させ、民の疲弊が頂点に達した頃、占の結果により王宮を追放された身であった第一王子アルザが父王を弑し、王座についた。
アルザは即位式も待たぬうちに開国を宣言し、国内の商人たちにシュタインやルイーネとの通商を勧めた。
しかし、事はそう簡単にはいかない。
国内商人の貿易参入を促進するには安全な海路の確立が不可欠であったが、鎖国中に発展してしまった海賊船や密輸商人の駆逐が、鎖国中に弱体化してしまった海軍では追いつかないのだ。



