管理人の姿はなく、右を見ても左を見ても白一色で、静寂が耳に痛い。
私の体は宙に浮き、壁の上の方にある一枚の扉の前に静止している。
【9,500,012号室】と白字で書かれたこの扉は、奏の扉だ。
この世界にやって来たということは、私はまたなにかを目にする必要があるということだろう。
迷いは一切なく、光を放つ鍵で開錠し、勢いよく扉を開けた。
中には楽しそうにピアノを弾く五歳の奏と、体でリズムを取りながら笑顔で聴いている、同じ歳の私がいる。
時刻は夕方。
出窓から射し込む夕日が、黒いグランドピアノを橙色に光らせていた。
一曲弾き終えると奏は、椅子の上で体を四半分回転させて、横に立つ私と向かい合う。
無邪気な笑顔が可愛らしい。
「奏のピアノは上手だねー。
幼稚園の理恵先生より、ずっと上手だよ」
幼い私がそんな言葉で褒めると、奏は得意げな顔になり「当たり前だよ」と生意気なことを口にした。
「僕は大きくなったらプロのピアニストになるんだ。僕のピアノを聴いてもらうために、世界中を飛び回るんだよ」
「世界? わー、すごいねー!」
「うん。デビューコンサートには、綾を一番に招待するからね。特別席だよ。楽しみに待ってて」


