奏 〜Fantasia for piano〜


日野村先生は、奏よりずっと苦しそうな顔をして、呻くように言った。


「なんてこった。そんなことがあったのか……。
調べれば知ることもできただろうに、話しをさせてすまなかったな。

言い訳すると、ここ数年、妻の病状が思わしくなくて、俺も余裕がなかったんだ……」


そのとき午後の部の開演を知らせるアナウンスが流れてきた。

日野村先生は奏をもう一度腕に抱きしめてから、すまなそうに言う。


「もっと話したいが、出番を控えてるから行かないと」


大柄な背中がステージの方へ去って行くのを、奏は無表情で見つめている。


「奏……帰る?」


デート気分で最後まで聴いていくつもりだったのに、奏の気持ちを考えると帰ったほうがいい気がした。

『会いに行くのを躊躇ってしまいました』と、さっき奏は言った。

会いたいけど、会いたくなかった人。

奏は今、複雑な想いの中にいるのだろう。

そういう人に引き合わせてしまったのは音楽祭に誘った私で、責任のようなものを感じていた。