奏 〜Fantasia for piano〜


奏の才能を信じる日野村先生は悪くない。

でも……その問いかけはキツイよね、奏……。


笑顔の日野村先生の前で、奏の瞳が揺れていた。

心配になって「私から説明する?」と口を挟んだら、奏は静かに首を横に振った。

「大丈夫だよ、綾」と、私を安心させるように微笑んで見せてから、ジャケットの右袖をまくり、その下の黒いロングTシャツの袖もまくり上げて、傷跡を露わにした。


その傷跡を、私も初めて目にする。

手首から三センチほど上に、長さ五センチほどの茶色い線が、白い肌にくっきりと刻まれている。

ナイフによる傷跡に重ねるように、数回の手術でも同じ場所を切開したようで、その跡は濃く太く盛り上がっていて、まるで烙印のようだ。


日野村先生が目を見開いて、奏の腕を凝視している。


「これは一体……」


「コンクールのステージで襲われたんです。
夢まで後一歩のところだったのに、俺はもうピアノを弾けません。

あがいてみたけど、右手の薬指だけがどうしても言うことを聞いてくれないんです。

帰国したとき、日野村先生の顔が浮かびました。けれど、会いに行くのを躊躇ってしまいました。すみません」


奏は淡々と説明を終えて、服の袖を直した。

その顔は無表情に近く、一見して苦しみは感じられない。

それは、心を切り離してしまったせい。

あまりにも辛くて、扉の中に感情を閉じ込めてしまったせいだ。