奏 〜Fantasia for piano〜


奏の右手が私の胸に伸びて、鍵にそっと触れた。


「見たことあると思ったら……ばあちゃん家の鍵か。子供の頃の俺が、綾にあげたの?」

「うん。覚えて……ないよね」

「覚えてたはずなんだけどな。今は思い出せないというか、思い出したくないというか」


想い出は、白い世界の扉の中。

そこから出してあげない限り、奏の心に五歳の私は戻って来れない。

どうしたらいいのだろうと、幾度となく思った疑問を心に繰り返し、寂しい気持ちになったとき、木々を抜けてきた冷たい風にくしゃみが出た。


日差しがあるけど、十一月の空気はやっぱり寒い。

しかも、ノースリーブで夏物のドレスだし……。

奏が着ていた濃紺のジャケットを脱いで、私に羽織らせてくれた。


「着替えておいで」

「でも……」

「帰らないから大丈夫。
ここで待ってるよ。信じて」


茶色の瞳を見つめると、嘘をついているようではなかった。

それで私は奏から離れ、着替えをしに控室に戻った。


中には着替えを済ませている梨奈がいて、ニヤニヤしながら私をからかう。