スワロウテイル

怒りとか悲しみとか悔しさとか、そういうエネルギーの必要な感情は湧いてこない。ただただ疲れてしまったみちるは部屋に戻って、布団にごろりと横になった。

考えても仕方ないってわかっているのに、どうしても考えてしまう。
佳子先生なんて贅沢は言わないから、せめてもう少し子供のことを思ってくれる母親だったなら‥‥。
こんな時、相談できる父親がいたのなら‥‥。

こうだったら、ああだったら。そんなことをいくら思っても、虚しくなるばかりだ。みちるは思考回路をシャットダウンするように、目を閉じ耳を塞いだ。

そうしたら、いつのまにか眠ってしまったのだろう。 気がついた時にはカーテンの隙間から朝の柔らかい光が射し込んでいた。

壁の時計に目をやると、針は午前6時半を指していた。ずいぶん長い時間眠ってしまったみたいだ。

着替えもせずお風呂にも入らないで寝てしまったせいで、制服も髪の毛もグシャグシャだった。

みちるは目覚ましも兼ねて、熱いシャワーを浴びた。部屋に戻るときに居間をのぞくと、まだ具合が悪いのか母親は昨日と同じ格好で布団に寝ていた。


ーー結局、みちるが頼れる人間は一人しかいない。朝ごはんを済ませて身支度を整えると、佳子先生に電話をかけた。
みちるの期待通り、『すぐにいらっしゃい』と優しい声が答えてくれた。

とはいえ、こんなに朝早くに押しかけるわけにはいかないのでみちるは昨日の夜にできなかった現代文の問題集を終わらせてから相沢家に行くことに決めた。

修はいるだろうか。なんだか無性に修の顔が見たかった。

◇◇◇

相沢家の純和風な居間で、みちるは佳子先生と向かい合っていた。
まだ真新しい畳は鮮やかな緑色で、かすかにい草の香りがした。
隣の部屋からは桃子ちゃんと夏美ちゃんの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。二人はまるで双子のようによく似ていて、とても仲が良い。
もうお昼近い時間だというのに、修はまだ部屋で寝ているらしい。

みちるは話し終えると、佳子先生の淹れてくれた緑茶をぐいっと飲み干した。
口の中に広がる苦味に思わず顔をしかめる。相沢家のお茶はとても濃くて、渋い。おじさんの好みなんだそうだ。

そんなみちるを佳子先生は優しい眼差しで見つめていた。そして、ゆっくりと口を開く。

「わかったわ。奨学金で賄えない分のお金は私が貸してあげる。就職してから返してくれればいいからね。アルバイトなんてせずに今は受験に集中しなさい」

「‥‥ごめんなさい。ありがとう、佳子先生」

「謝ることないわよ。だって、みちるちゃんが立派になったら倍返しにしてもらう予定だから。いわば、投資ね」

そう言って佳子先生はにっこりと微笑んだ。