スワロウテイル

重苦しい空気から逃げるように、そそくさと二人はみちるの前から去っていった


‥‥もっと上手い言い方があったのかもしれない。例えば修なら、相手を不快にさせることなくさりげなく話題を変えただろう。だけど、経験値の低いみちるはそういうことが上手にできなかった。
そんな自分がもどかしくて、みちるの心はますます沈んでいった。


五條君の噂の真相も気にならないといえば嘘になる。時折見せる五條君の暗い表情はその噂に関係があるのだろうか。
だけど、みちるは聞かなかったことにしようと決めた。
噂話の中の輪郭のあやふやな五條君より目の前に存在している彼を信じたいと思った。 少なくとも、みちるはそうして欲しかったのだから。


小さな玄関に鮮やかなブルーのハイヒールがだらしなく脱ぎ捨ててあった。
最近、母親がよく履いているものだ。
みちるはハイヒールを拾い上げると、きちんと揃えて置き直した。

‥‥珍しい。金曜日なのに休みなのかな?

水商売をしている母親にとって金曜日は稼ぎ時なので、休みを取ることは珍しい。機嫌が悪かったら厄介だな。そんなことを考えながら、みちるはちらりと居間を覗く。

いつも部屋の隅に敷きっぱなしになっている布団の上に、母親が横たわっていた。今日はあの男はいないようだ。

「どうかしたの?」

どうせ二日酔いだろうと思い、みちるは冷たい声で言った。

「ん〜。風邪ひいたみたいで熱あんのよ」
どうやら嘘ではないようで、声が少し掠れていた。

「なにか食べる?」

「食欲ないからいい」

「あっそ」

実の娘とは思えない冷淡な態度だけど、向こうも大概なのでお互い様だろう。
大して重病にも見えないし放っておくことにして、みちるは自分の部屋に向かった。が、ふと思いたって、居間に引き返した。

母親が弱っている今なら余計なことを言われないだろう。 そう考えて、進路についての報告を済ませることにしたのだ。

「お母さん。高校卒業後の進路のことなんだけど、私、東京の大学に行くから」

母親はみちるに背を向けたまま、億劫そうに返事をした。

「はぁ〜⁉︎ なによ、それ。 いくらかかんのよ。うちにはそんなお金ないわよ」

予想通りの反応だった。みちるは冷めた目で母親の背中を見つめ、淡々と話を進める。

「お金は奨学金とバイトでなんとかするから、お母さんには迷惑はかけない。もう決めたことだから」

これ以上話すことはない。居間を出ていこうとするみちるの耳に、母親の溜息と独り言めいた愚痴が聞こえてきた。

「ったく。せっかく綺麗に産んでやったんだから、キャバクラででも働きゃ稼げるのに‥‥気がきかない子だわ」

それは母親らしいといえば母親らしい意見で‥‥今更ショックなんて受けたりしない。

だけど、みちるの中でなにかがプツンと切れてしまった。