福岡空港から最終の飛行機に乗り羽田に到着すると、
到着ロビーには田所くんが迎えに来てくれていた。
彼の顔にももちろん笑みはない。
スターメソッドの本社の駐車場に到着した時には0時を回っていた。
車を降りると薄暗い社員通路からすぐさま7階の社長室へ向かう。
流星さんから勢いよく開け放たれた茶色く大きな扉の向こうには、
やはり神妙な表情を浮かべ腕ぐみをする神道社長と、
携帯を持ちフランス語で話している東さんの姿があった。
私たちの顔を見るなり、社長は流星さんを呼び小声で何かを伝えると、
流星さんは田所くんに声をかけ、ふたりで社長室を出ていったのだ。
その場に立ち尽くしオロオロする私に、神道社長は優しく話しかける。
(北新宿、スターメソッド。7階社長室)
神道「星光さん。座って」
星光「は、はい……」
神道「流星から事情は聞いてると思うが、
突然こんな形で来てもらって申し訳ない」
星光「い、いえ。
私こそ、教えて頂いてよかったです。
その後、七星さんの安否は分かったんですか?」
神道「今、光世が領事館と連絡を取っている。
まだ情報が錯綜していて、詳しいことが分からないんだ。
当初の話だと、
難船したのは一隻ではないということだったからね。
マルセイユでも陽立が事実を確認している」
星光「浮城さんが……」
神道「今確かなことは、
大変な事態が七星たちに起きてるということで、
私たちに情報を待ってる時間はない。
星光さん、これを。君のものだ」
星光「これは」
神道社長がテーブルの上に置いたのは、
日本国と書かれている濃紺のパスポートだった。
私はこれを持って、
明日七星さんの居るフランスへ飛び立つ。
震える手でパスポートを手に取ると、
私の両目からボロボロと大粒の涙が溢れた。
神道「君が入社した日に申請していたものだ。
うちの会社は海外での仕事も多いから、
どの社員にもパスポートを作る。
本当なら君が退社した日に手渡すつもりでいたんだが、
こんな形で使うようになるとは想定外だった」
星光「神道社長。聞いても、いいですか?」
神道「ああ。いいよ」
星光「私が神道社長のオファーを断ったから、
七星さんはフランスへ行くことになったのでしょうか」
神道「ん?」
星光「私のせいで、彼を追い詰めてしまって、
私があのまま勝浦での仕事をやり遂げていたら、
七星さんは苦しい想いをしなくて済んだのではないでしょうか。
私と出逢ってしまったから、彼は(泣)」
神道「何を言っている?
フランスへ行かせたのは私の指示だ。
それに、七星がマルセイユへ行ったのは、
クライアントが七星を指名したからだ。
七星がこの仕事を受けたら、
今後5年間専属契約を約束すると先方からの申し出で、
あいつにしてみれば、今回のフランス行きは、
最高の仕事を手に入れる切符を渡された仕事だった。
一年頑張れば、日本で思い切り自分らしい仕事ができる。
そうすれば君のことも自分の手でしっかり支えられると言って、
七星は自らの意志でフランスへ行ったんだよ」
星光「えっ」
神道「だから君が彼を追い詰めた訳でも、
苦しい想いをさせた訳でもない。
プロのフォトグラファーとして、ひとりの男として、
あいつの人生最大の決断だったんだ」
星光「七星さん。いつも私のことを考えてくれてたのに。
本当に、ごめんなさい……」
神道社長の言葉を聞くまで、私は何も気づけなかった。
北斗さんの人間性、夢、そして本心。
風馬の言うとおり、私は何も分かっていなかった。
分かったふりをしているだけで、
彼の真意を何一つも感じ取れずに。
感情が堰を切って漏れ出し、
喉に閊えたような悲しみが込み上げて涙が溢れる。
神道社長に渡された大きなハンカチを受け取った時、
ドアに凭れ立っている流星さんに気がついた。
私と神道社長の話を背後でずっと聞いていたのだ。
流星さんはゆっくり私に近寄りソファーに座ると、
泣いている私の頭を優しく自分の胸に引き寄せた。
流星「星光ちゃん。
明日、兄貴に逢いに行こうな」
星光「流星さん……」
流星さんの声と厚く広い胸に支えられて、
北斗さんに抱きしめられたことを思い出し号泣した。
私の頭をなでる大きな手、彼の呼吸、体温、
彼の匂い混ざった爽やかで、
みずみずしい清涼感ある香水の香りまでも。
まるで再現フォルムのように感じて、
拭いても拭いても涙が止まらない。
社長室へつづく薄暗い廊下に、
私の鳴く声と東さんのフランス語が微かに響いていた。
オレンジ色の太陽の光が部屋の隅々に広がり、
夜の闇はゆっくりと後退して、
東の窓から穏やかな朝が社長室に訪れる。
事故の負傷者が、
とある病院へ運ばれたという一報が入ったのもその頃だった。
ずっと流星さんに抱きしめられて一夜を明かした私は、
泣きつかれて両目は真っ赤に腫れ上がっていた。
眠らぬスターメソッドのビルの中で、
必要な書類を抱えて走り回る多くの社員を眺めながら、
静かに駐車場へ向かい、
そして、流星さん、東さんと共に羽田国際空港へ行く。
人生最大の決断を胸に秘めて、
7時35分発のAF278便に乗り、
北斗さんの居るフランスへと私は飛び発った。
(続く)
この物語はフィクションです。

